田端医師が心臓外科の魅力に目覚めたのは、外科医を目指して研修医になった時のローテーションがきっかけだった。

「どの外科でも手術室が神聖な場に感じてドキドキワクワクしました。なかでも心臓外科での研修が印象的で、人工心肺を用いて心臓を止めておこなう手術や心臓を動かしたままおこなう手術を見て、スピードと正確さが求められる緊張感が、好きでたまりませんでした」

 研鑽の場に選んだのは、症例数が多く若い医師でも手術経験のチャンスが回ってくる米国の病院だった。まず29歳で入ったのが、ハーバード大学の教育病院。同僚のレベルが高く、ついていくのは大変だった。とにかくできることをやり続け、1年目の終わりくらいになんとかなりそうだと感じられ、250症例ほど経験したころに、少しだけ自信がついてきた。

「ただ、手術はやればやるほど出合ったことのない困難が訪れますし、担当する手術の難度もどんどん上がっていきます。少し自信がついても、次のステージに行くと『まだ足りない』と気づかされます」

 2年間経験を積んだのち、同大の公衆衛生大学院に通った。

「臨床研究の方法論を学び、論文を多く書く機会に恵まれました。論理的思考力や思考の言語化力がブラッシュアップされたことは大きな収穫のひとつでした。手術はたとえば、糸をかける場所やかけ方、すべての動作に根拠があり、それを論理的に組み立てて言語化することで、手術の理解が深まります」

 大学院修了後はコロンビア大学病院でさらに複雑な手術を学び、その後ベルギーの病院でより難度の高い内視鏡下MICSを習得した。

田端医師を、ハートチームとテクノロジーが支える(写真提供/田端医師)
田端医師を、ハートチームとテクノロジーが支える(写真提供/田端医師)

■世界中から患者を集めて日本を元気にしたい

 米国の病院に就職が決まっていたが、リーマン・ショックで一時白紙になったことをきっかけに帰国した。

「米国の病院は働く環境が良いですが、結局母国である日本の発展に直接貢献できないとやりがいが薄れてくるのではないかと考えていて、いずれ日本に戻るつもりでした。日本に戻ってすぐに米国の病院から再びオファーがありましたが、このタイミングで日本に戻ったのは何かの縁だと考えオファーは断りました。そのころから日本で新しい知見や技術を創出して、また日本の医療技術とサービスを生かし、インバウンドで世界中から患者さんを集めることで、日本を元気にしたいと考えはじめました。その考えは今も同じです」

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