今年2月に開催されたグランドスラム・デュッセルドルフの結果を受けて行われた東京五輪柔道日本代表発表。晴れの場の記者会見で井上康生監督は涙を見せた。AERA2020年3月9日号では、日本柔道立て直しに奔走した8年間に迫った。
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1964年の東京五輪で正式競技になった柔道が、半世紀ぶりに発祥国の五輪に戻ってくる。男子日本代表を束ねるのは井上康生監督。41歳、集大成の舞台だ。
それは突然の涙だった。2月27日、東京五輪に出場する日本代表発表の記者会見。晴れの場で井上監督の顔がゆがんだ。
「いま、これまでの選考大会を思い浮かべる中で浮かぶ顔というのは、ぎりぎりで落ちた選手たちの顔しか浮かばない状況であります」
60キロ級の永山竜樹、73キロ級の橋本壮市、海老沼匡(まさし)……。
代表に落選した選手たちを一人ずつ挙げると涙腺が崩壊。「彼らはすべてをかけて、ここまで戦ってくれたと思います。彼らの思いも我々はしっかり受け止め、日本代表として責任を持って戦わなきゃいけないという気持ちしか、正直ありません」。そう言って声を詰まらせ、何度も涙をぬぐった。
2012年11月、ロンドン五輪で史上初の金メダルゼロに終わった日本男子柔道の再建を託された。当時34歳。史上最年少の監督就任だった。08年の現役引退後は2年間、英国に渡って見聞を広げた。帰国後、母校の東海大で柔道部の副監督に。指導者としてのキャリアは浅かったが、当時の斉藤仁・強化委員長(故人)が「柔道界を立て直せる人材」と白羽の矢を立てた。
代表再建のテーマとして掲げたのは「総合力」だった。全日本を担う選手たちには「日本スポーツ界を代表する存在になってほしい」と自覚を促した。選手が移動する際にはスーツや制服の着用を義務づけ、ひげを伸ばすことも禁止に。畳の上では「全日本、選手、選手の所属は三位一体」という姿勢を打ち出し、代表活動のあり方も変えた。代表で拘束する期間を減らし、その分、普段練習する所属チームの指導者と連絡を密に取った。