それでいて無邪気で天然というあたり、聖子とはまた違うタイプの大物だったといえる。
そんな奈保子に憧れ、癒やされていた少女が佐藤佳代、のちの岡田有希子だ。中学時代には彼女の肖像画を描いて賞を取るほどの大ファンだった。デビュー直後に筆者がインタビューしたときにも、彼女の大ケガについて、
「かわいそうで、かわいそうで、代わってあげられたらいいのになって思いました」
と、振り返っている。また、同じ事務所の大スターだった聖子について話を向けると、
「そのころはあんまり、普通でしたね。別になんとも思わなかったというか、ひたすら奈保子さんが好きだったから」
と、語った。
やがて事務所から「ポスト聖子」の期待を託される有希子だが、もともと奈保子派だったというのは運命の皮肉であり、奈保子が聖子の対極的なタイプだったこともここからうかがえる。
そして、奈保子は売れたあとの生き方も聖子とは好対照だった。
聖子が私生活でも派手な話題をふりまきつつ、映画の主演や海外への進出など活躍の場を積極的に広げていったのに対し、もっぱら歌手としての活動のなかでスキルアップ。筒美京平によるディスコ調のナンバーもこなしたりしたが、人に安らぎをもたらす天性の魅力は変わることなく、それはしだいに母性的なものへと成熟していった。
個人的にいちばん好きな曲が「ストロー・タッチの恋」のB面に収められた「若草色のこころで」。これからの季節にピッタリな、優しくせつないバラードだ。
やがて、96年にヘアメーキャップアーティストと結婚して、芸能活動を休止。2児の母となった。
2番目の子が「kaho」として歌手活動を行ったこともあったが、母のイメージを左右するほどの活躍はしなかったため、奈保子のイメージはこの96年あたりで止まっているともいえる。
それゆえ、アイドル時代の若々しい姿がファンの記憶のなかで保存されていて、他の同世代アイドル以上に80年代を懐かしく思い出させる存在になっているのかもしれない。