人によるだろうけど、両国国技館はあまりにも広すぎて、俺はやりづらいところがあったんだ。もっと客席と近い方が迫力も伝わるし、もっと密なほうが俺はいいと思うんだよ。会場に広さを求めるのは、興行収入気にしてる人だけだ。

 そういった意味で後楽園ホールは俺にとってホームグラウンドのような会場だ。相撲時代にボクシングのチケットをもらって、初めて行ったときは正直「こんな狭いところがボクシングの殿堂でいいの!?」と思ったよ。相撲時代はいつも1万人入る会場でやっていたからね。だから、まさか後に自分がプロレスラーになって、ホームグラウンドになるとは夢にも思わなかった。

 後楽園ホールでの思い出の試合は、1977年、ロッキー羽田と組んで、グレート小鹿&大元司のアジアタッグ王者に挑戦した試合だ。3本勝負で1―1で迎えた3本目は60分時間切れでドロー。俺はフルタイムで戦ってヘトヘトだったんだけど、ロッキーか小鹿だったかが「もう15分やろう!」と言い出してね。こっちはすっかり息が上がっていたから「何言ってんだこいつら!?」と思ったよ。

 結局、延長したけど決着つかなかったと思うよ。プロレスに転向して2年目で、あれはキツかったなぁ。俺が全日に入って2~3年はロッキーと組むことが多くてね。ロッキーも俺と同じく相撲出身だから、俺のためになにくれとなくやってくれて、試合を組み立ててくれた。懐かしく思うよ。

 もうひとつは、ビル・ロビンソンと組んで、ジャンボ鶴田&ジャイアント馬場のインターナショナル・タッグに挑戦した試合だ。この試合では負けはしたものの、馬場さんからも内容がよかったと認められ、俺も自信が持てた対戦だった。この対戦で俺はアントニオ猪木さんの持ち技である延髄斬りや卍固めを繰り出してね、それが観客にもウケた。それからその2つの技を使うようになったけど、馬場さんからは猪木さんの技を使うことについては、なにも言われなかったよ。

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