
蔵前国技館の思い出は、取り組みよりも横綱の北の富士関が肩で風切って歩いていたとか、輪島関がリンカーン・コンチネンタルで国技館に乗りつけたとか、そういう思い出の方が強いんだ。やっぱり、大関・横綱クラスはオーラがすごくて近寄りがたいものがあったよ。琴桜関、玉の海関も台頭してきて、みんな横綱になるオーラがあって、俺たちが見ててもかっこいいなと思ったもんだ。
俺が相撲を廃業した後、断髪式を日大講堂でやってもらった。ジャイアント馬場さんの計らいで、全日本プロレス興行のメインの前にリング上でやったんだ。いろいろな人に鋏(はさみ)を入れてもらったが、同郷の福井県出身で、後に法務大臣、衆議院議長を務める福田一さんに鋏を入れてもらったことを覚えている。相撲時代の後援会でもいろいろお世話になった人だからね。それから断髪式中、2階席のファンからの「そんなのいいから早くプロレスやれ!」という野次も覚えている! こっちにしてみれば大事なことをやってんだよって頭に来たね!
今の両国国技館は俺が全日本プロレスに入ってから完成したから、プロレスのリングでしか戦ったことはないけど、初めて入ったときは「立派で、ハイカラだな」と思ったよ。蔵前国技館は元は飛行機の格納庫だったようで、なんか暗かったけど、両国国技館は明るいしね。
ここではオカダ・カズチカと引退試合もやったが、印象的だった試合は1985年にロード・ウォーリアーズが初来日したとき、俺とジャンボ鶴田がタッグで戦った試合だ。はっきり言って、ハチャメチャにやられたよ。あいつらは、俺らがテキサスで教えてもらったプロレスと全然違う、いまどきの飛んだり跳ねたりする、派手なプロレスできて、戸惑ったことを覚えている。つなぎ技で組み立てるのではなく、ひとつひとつの技をビシビシ決めてくるタイプで、バイオレンス的なプロレスだ。しっちゃかめっちゃかに攻めてくるもんで、俺はびっくりしているんだけど、ジャンボはいつものペースなんだよ……。そこがジャンボのすごいところだね。