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 9月に「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、現在は入院してリハビリ中の天龍源一郎さん。今回は入院先から主治医の許可をもらいながら、試合会場の思い出を語ってもらいました。

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 相撲プロレスといろいろな会場で試合をしてきたけど、その中で印象的な試合や会場を振り返ろうと思う。まずは相撲時代の蔵前国技館だ。俺が13歳のときだから、もう60年前になるのか。1964年1月に初土俵を踏んだのが一番思い出に残っている。初めての蔵前国技館は正面入口からではなく、横の通用口から入ったから「国技館に来た!」という印象より、「ここでこれから相撲を取るのか」という気持ちだった。正面から入れたら気持ちもまた違っただろうね。

 当時、同期が60人くらいいたから、初土俵が誰と戦って、どうなったかは覚えていないが、とにかく緊張したことだけは覚えているよ。俺らの頃は中学の途中から相撲部屋に入門して、それから初土俵に上がって前相撲を取るのが普通だったから、周りは14~5歳が多く、年上といってもせいぜい18歳とかそんなもんで、今では考えられないだろう。

 前相撲のときは客席に誰もいない、ガランとしているところでやるもんだから、土俵がとても広く感じてね。そのときの俺は、幕下が相撲を取る土俵と、大関・横綱が取る土俵では大きさが違って、途中で変わるもんだと思っていて、「なかなか土俵が変わらないなぁ」なんて眺めていたよ。まさか、横綱と俺たちが同じ土俵で相撲を取るなんて思わなかったんだ!

 徐々に番付が上がって客前で相撲を取るようになっても、楽しいと思ったことはないが「今日は一発やってやろう!」という気持ちは常に持っていた。大物を食ってやろうとか、思わぬ手で勝ってやろうというね。俺のスタイルは突っ張って、はたき込むか、左四つに組んで押し切るかというスタイル。一度、相手に突っ張ったら、脳しんとうを起こしてひっくり返ったのには、我ながらびっくりしたね。こんな威力があるのか!って(笑)。そういう俺も福の花という力士に張られて脳しんとうを起こしたこともある。福の花は別名“フックの花”と呼ばれるくらい、強烈な張り手を持っていたからね。

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蔵前国技館の思い出は取り組みよりも横綱たちのオーラ!