第1回(2006年)、第2回(2009年)は出身国のパナマ代表、第4回は自身がルーツを持つ中国代表として出場したのがロイヤルズなどで活躍したブルース・チェン投手。メジャーリーグでは8年間プレーして先発、中継ぎとして82勝をマークするなど実績十分の左腕だ。パナマ代表として参戦した2大会はともに先発として1試合を投げ、中国代表として出場した第4回大会は東京ドームでの強豪キューバ戦に先発して3回途中を3安打無失点と好投。「この経験は一生忘れることはない」と祖父母の出身国の代表として結果を残して感動もひとしおの様子だった。

 その他、メジャーでのプレー経験はないがツインズ傘下のマイナーなどでプレーしたポール・ラトガーズ内野手は、第1回大会ではオーストラリア代表、第2回大会では南アフリカ代表として出場。予選でのプレーを含めれば、第1回大会で米国代表として出場していたメジャー通算2769安打のジョニー・デーモン外野手(レッドソックスなど)は、第3回大会(2013年)の予選では母親の出身国であるタイ代表のメンバーとして参加している。

 また、実際に実現はしなかったものの、“超大物”アレックス・ロドリゲス内野手(ヤンキースなど)も異なる国の代表チームでプレーするプランがあった一人だ。第1回大会は米国代表としてプレーし、日本代表戦でサヨナラタイムリーを放ったシーンを覚えているファンも多いと思うが、第2回大会は両親の出身国であるドミニカ共和国の一員としてWBCに出場する予定だった。だが、練習中に負傷して結果的に出場は見送られた。

 ロドリゲスは第1回大会も当初はドミニカ共和国代表として出場すると公言していたが、最終的に出身国である米国代表を選択。自身のルーツがある国を代表してプレーすることは叶わなかったが、「果たすべき母親の夢」であり、「ドミニカ共和国のユニフォームを着てプレーする姿を見せることは自分と家族にとっては特別なこと」とその思いを述べている。やはりここでも「母親」の出身国でプレーして、喜んで貰いたいということが動機となっているのは興味深い。

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どこの代表でプレーするかは家族への配慮も?