日本の子育ては、母子手帳(※注1)からスタートするといっても過言ではありません。一人目の妊娠がわかってからまず行なったのは、市役所へ行って母子手帳をもらうことでした。その手帳を検診のたびに持参して、日々膨らんでいくおなかのサイズやら何やらを記録してもらいます。「妊娠中の経過」の欄が埋まっていくにつれ、母になる実感が高まっていくようでした。今でも上の子の母子手帳を見ると、幸せと不安の間を行ったり来たりしていたその特別な期間のことを思い出します。
一方アメリカには、母子手帳のようなものはありません。二人目妊娠中に通っていたアラバマ州の産院では、妊娠中の記録は電子データで保管されるだけで、手元に残しておきたかったら自分で妊娠ダイアリーのようなものを買ってきて書き込むしかありませんでした。ズボラな母ですから、「日本みたいに公式の記録簿があったらいいのに」「せめてデータをプリントアウトしてほしい」と何度思ったかしれません(子どもの検診結果はプリントアウトしてもらえるのです)。
そんなわけで、妊娠中の記録をきちんと残せる日本の母子手帳はたいへん優れたシステムだと思います。でも! それが子どもの記録とひと続きになっているのには疑問を禁じえません。親子といえども、ひとたび産み落としたら子と母は別個の存在です。別人である子どもの記録を母の個人情報と同じ手帳につづるのは違うんじゃないか、そんなんだから子どもの健康管理が母親に一任されちゃうんじゃないの、検診も母親が連れていく前提じゃない、と思うのです。なんてったって「母子手帳」というネーミングが、もう母親に子育てを押し付けている!
母子手帳の歴史を調べてみると、1942年に作られた「妊産婦手帳」が原型とのことです。これは妊産婦の健康管理だけを目的としたもので、子どもの健康管理はというと、1942年から1945年までは「乳幼児体力手帳」という別の手帳で行っていたそうです。しかし1947年、児童福祉法の成立によって「妊産婦手帳」の対象が小児にまで拡大されたとのこと(※注2)。初めは母と子で別々に管理していたのに、1947年に一緒になっちゃったんですね。