
切断した右足をさらけ出し、相手選手と激しくぶつかり合う。クラッチと呼ばれる杖を軸に、左足だけでボールを追う。2019年5月、田中啓史さん(43)は大阪市鶴見区の球技場でアンプティサッカーの優勝決定戦に挑んでいた。試合終了のホイッスルが鳴ると同時に相手チームから大きな歓声がわき起こり、田中さんはひとり静かに天を仰いだ。
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アンプティサッカーは、おもに手足に切断障がいを持つ人たちが行う競技。1チーム7人制で、基本的にフィールドプレーヤーは足に障がいのある人が、ゴールキーパーは手に障がいのある人が担当。どちらも義肢を外して片方の手足でプレーする。
田中さんが右足を失う事故に遭ったのは、アテネ五輪が開かれた04年、12月12日のこと。小雨がぱらつく夕刻、JR京都駅近くの交差点で、当時28歳の田中さんが乗る大型バイクに右折車が衝突した。
「見通しの悪い交差点で、雨も降っていたし滑るようにバイクごと倒れて。あっ当てられたな、と思って右足を見たら、破れたズボンから骨と肉片が見えていました」
皮一枚で右膝から下がつながっている状態だったが、不思議と痛みは感じなかったという。
「周りにいた人たちが駆けつけてくれたんですが、僕の足を見てみんな言葉を失って。一斉に後ずさりしたのを覚えています」
搬送された京都第一赤十字病院で検査を受けているあいだも、まだ痛みは感じないまま。麻酔なしで止血されたときにはじめて激痛が走り、叫ぶようなうめき声をあげる。
「先生が来て、『右足の指先の感覚をチェックするから』と言われて。指先をトントンとされてもまったく感覚がないので、このままだと右足を切られてしまうと思いました。なので、『触ってるか触ってないか……うーん、触ってますかねえ?』とごまかしていたら、『ハッキリしなさい!』と叱られて。『わかりません』って泣きながら伝えました」
結局、右膝から下を手術で切断することに。術後しばらく切断部位を直視できなかったと、田中さんは振り返る。
「抜糸後にお風呂に入ることになって、見ざるを得ないからはじめて見て。うわ、ほんとに足がないわ……というのが率直な感想でした」
入院中に事故の相手側の両親と本人が病院を訪れ、泣きながら田中さんに謝罪した。