お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。
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「そんなものはない」という人は嘘つき。誰にでも平等に存在していて、皆それをどう扱うか悩んでいる。それが「コンプレックス」ってやつだ。
先日福島出身のある方と話をしていると、その人は、就職を機に上京後、程なく東北弁を喋るようにしたという。「営業職だったので、名前を覚えてもらうために」と。ちなみにその人の普段は、言われてみればそうかと思うぐらいの訛(なま)りがある程度。
我々バブル世代は「シティー派」であらねばならないという圧力が強い時代を過ごしたので、訛りは矯正するが是であった。私が腑(ふ)に落ちたのは「最初から出来る奴は出来る」という身もふたもない現実であった。「出来る」というのは“コンプレックスの打開”だ。さらにその人は「普通より訛るように心がけた」という。すると「面白い!」と「うわー、お前ダッセー!」に反応が分かれるそうだ。これなどはブランディングするにあたっての振り分け作業。半端な立ち位置では埋もれてしまうわけで、己の見方を示し、味方を作る。こんな処理の仕方を若くしてやってのける人もいる。弱点は財産。なるほど、それをどう運用するか……。
コンプレックスには“それとどう付き合うか”という、「時間」に関するものがある。
例えば、世間には最初から「太っている」とか「背が小さい」人がいる。前者は最初からそうだとしても努力してそうでなくすることが出来る“葛藤の余地有り”パターン。
後者は高校生ぐらいから急に成長し出し、コンプレックスが過去のものになってしまうという、“葛藤の余地埋まり”パターンもある。
しかし、成長しても、周りが同じように成長してしまうので変化することなく「ずっと小さい」人もいる。これは否が応でもそのことに向かわざるを得ず、克服するための努力と失敗に充てた時間がその人の存在感を形成することも有り得るケース。酷だが、発想を転換して、学士→修士→博士と卒業せずずっと学べると考えたら良い。コンプレックスの大学院生だ。こういう人は酒場で小粋な「ちびジョーク」の一つや二つは持っているもの。人として信頼できる。