小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)</p>

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小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
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赤ちゃんも分身ではなく、初対面の他者(撮影/写真部・東川哲也)
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赤ちゃんも分身ではなく、初対面の他者(撮影/写真部・東川哲也)

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

*  *  *

 人生には色々な師との出会いがありますが、私に人間とはなんであるかを教えてくれた最高の先生は、息子たちです。

 まずもって、無から生命が誕生したのを体感したのですから凄いことです。世界中のどこにもいなかった人が、よりによってこの腹のなかに発生したとは! しかも着々と細胞分裂が進んで、私の意思とは全く関係なく背骨ができて、手足を動かし始め、ある日外界に降りてきたのです。

 それまでは自分の人生は自分でなんとかできるものだ、そうでなくてはならないと思っていましたが、妊娠・出産を経験したらそんなことは絶対に無理だとわかりました。受精も着床も破水も分娩も、何一つ自分でどうにかできるものではありませんでした。私はただの複雑な肉であり、命の通り道であり、この世に出てこようとしている人に場所を貸したたんぱく質のゆりかごで、私の思考はこの新しい命の誕生に一切何も貢献せず、ただ呼吸し代謝する肉体であったことが、命の誕生によって丸ごと肯定されたのです。なんという無力、なんという恩寵。

 それで、出てきたのを見れば、なんと知らない人ではありませんか。こんにちは赤ちゃんどころか、え、これ誰?ですよ。どう見たってそれは私の分身でもなく、知っているだれかのミニチュアでもなく、初対面の他者だったのです。うわー、これ誰だろ?が、私の子育ての始まりでした。

 ところがその人が自分を語り始めるのにはうんと長い時間がかかるのです。言葉を得て、時宜を得て、いつかその人が語り始めるまで、ただひたすら「あなたは誰? あなたのことをもっと教えて。だってもう、知りたくてたまらないもんで」と尋ねて待つのが子育てなのではないかと思います。尋ねては驚き、見つめては驚き「こんな人が入ってたんだ!」と胸を躍らせる。

 15歳と12歳の息子たちは今も未知の人です。どんな人混みでも彼らだけは8Kクオリティーで輝いて見えます。多分一生、私は彼らに驚き続けるのだと思います。

AERA 2018年10月29日号