やがて娘が生まれ、数年後に息子も誕生。安定を求め昼の仕事へ転職した。順調だった。

 ただ、夫婦の営みは減ってしまった。会話も失せ、妻は外泊を重ねるようになる。そして数年後、離婚。しばらくタナカさんの実家で生活していた子どもたちは、後に新しい家庭を築いた母親のもとに移っていった。

 当時、既にインターネットの普及で、地方でも同性愛者同士が出会う機会は増えていた。ただ、30代の持ち家率が屈指といわれ、極めて保守的な文化の根付く地元の街で出会うのは、自身の性的指向から目を逸らし「人並み」の家庭を築こうとする当事者ばかり。タナカさんはそんな既婚者の男性たちとの関係を続けていった。

 満たされない思いを持て余していたときに出会ったのが、いまのパートナーだ。彼は自身の性的指向を周囲に話していなかったが、前向きな性格に惹かれた。タナカさんは思い切って尋ねてみた。

「東京、行く?」「行く行く!」

 相手は文字通り、二つ返事で賛成してくれた。東京で新しい仕事を見つけ、満員の電車に揺られる多忙な日々が始まった。昼夜休みがまちまちで、一緒に食卓を囲むことは稀だが、それでも幸せだとタナカさんは言う。

 互いの故郷の家族は、2人が共に暮らすことすら知らない。過去の自分と決別したつもりはない。遠く離れた娘から誕生日プレゼントが届いた時にはうれしかった。好物の茶葉だった。

「袋は開封できず、今もずっと保管してあります」(タナカさん)
 最近、その娘に子どもが生まれた。タナカさんは43歳にして「おじいちゃん」になった。

 あのまま妻と別れなかったら。子どもと一緒にいたら。あの街で「世間並み」の家庭を築く男たちと関係を重ねていたら。あらゆる過去の選択肢を振り切り、今、東京にいる。この先、家族や社会にどんな課題が生まれるかは、皆目分からない。タナカさんは話す。

「過去にも不幸だとは思ったことはありません。ただ、これからは彼と、知らない世界を見ていきたい。欲張りかもしれませんが今、そう思います」

(ライター・加賀直樹)

AERA 2018年7月30日号より抜粋

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