大好きな動物ドキュメンタリーだ。まず雄ライオンが獲物を捕らえる。雄ライオンは、威厳たっぷりに、顔をワイン色に染めながら、己の命を賭した成果を食す。食べる箇所は決まって、栄養価が高く、美味しい内臓。どのぐらい食べただろうか、満足した雄ライオンがその場を離れると、ようやく子ライオンがやってくる。そして、少しばかり余った肉の部分を愛おしそうにペロペロとねぶるのだ。これが自然界であり、普通の厳しい現実だろう。だのに、なんだ、我が家は。あべこべじゃないか!
もはや、家族達がやっていることは「HDD残量」の奪い合いだ。チャンネル権なんてものは、今にして思えば随分と牧歌的な争いごとであり、殴り合いぐらいシンプルなもの。現代は、これから見るであろう“予測分”まで奪い合う。ややこしい。まだリアルタイムにみんなで視聴するなら阻止出来る。でも現実は違う。持て余した多くの時間を有する者から「残量」という有限の資源を奪っていく。こちらが気づいた時には大分陣地を取られているのだ。そして驚くべきことに、奴らはそれを“録画したのに見ない”のである。
「動物番組を録画したい」
「録画すればいい」
「残量がない」
「消すことを許す」
じゃあ何故録ったのだ。
リビングで踏ん反り返りタブレットで動画を見ている扶養家族がいる。いつでも見られる録画財産を持って。
※AERA 2018年7月9日号