「ここで描かれた母と娘の関係を称するのに、愛で結ばれたという以外の表現はあるだろうか」書評家・杉江松恋さんもこのように評した朝比奈秋さんの『植物少女』が、第36回三島由紀夫賞にノミネートされました。「小説トリッパー」2023年春季号に掲載した、杉江さんによる書評を特別掲載いたします。
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■人間の生命をこのように描けるとは
小説が息をしている。生きている。
耳を澄まし、それを聴こう。
朝比奈秋『植物少女』は三層構造を持つ小説だ。第一層にあるのは医療小説としての性格である。
朝比奈は第七回林芙美子文学賞に輝いた「塩の道」で2021年にデビューを果たし、同年に第2作の「私の盲端」(同題短篇集所収。2022年)を発表した。これは腫瘍のため直腸の切除手術を受けた大学生の女性を視点人物とする作品である。人工肛門を使用、つまり新米オストメイトとなった主人公には世界がそれまでとはまったく違ったものに見える。現役医師でもある朝比奈は主人公の目に映るものを説得力溢れるディテールで描き、それによってこの社会を成り立たせている価値観が、実は大きく偏っていることを示したのである。
『植物少女』の主人公、<わたし>こと高梨美桜の母親・深雪は、彼女を出産するときに脳内出血を起こした。以来生命維持に必要な機能以外、脳は死滅状態にある。いわゆる植物状態だが、作者はまず、この用語に対する読者の先入観を専門家の立場から否定してみせる。
病床の上で常に「首を左に捻ってそっぽを向」いた状態にある深雪の体はまったく動かないが、食事の時だけは別である。食べ物を載せたスプーンをあてがわれると深雪の唇はひとりでに広がり、入れられたものを咀嚼すると「まるでタイミングがわかったようにゴクッと飲みくだし」「唇をもごもごと動かして催促しだす」。そこだけ見れば一般人の食事風景となんら変わることはないのだ。第三者からすれば植物のように静止して見える患者たちの中にかけがえのない命が宿っていることがそうした描写で示されるのだ。