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土門拳賞の受賞作『満洲国の近代建築遺産』(集広舎)を手に取ると、その分厚さに圧倒された。船尾修さんが撮影した建築物は約400カ所。広大な中国東北部でよくこれだけ多くの満州時代の建物を探し出して撮影したものだ。
一方、建物のカタログ写真を見るようなそっけなさも感じた。船尾さんに尋ねると、それは意図したものだという。
「これは作家が作為的に何かを表現した、というものではなくて、むしろぼくは満州時代の建物のカタログをつくることに徹した。右だとか、左だとか、そういうイデオロギー的なものを排して、今も残る建物を純粋に写した。それをどう評価するかは、見る人にゆだねたいし、資料として後世に残したい。今回の写真集はそういう思いがすごく強かった」
■建物に感じた日本人の自信
船尾さんが瀋陽に降り立ったのは2016年2月。そこはかつて、奉天と呼ばれた街だった。
「まあ、最初は旅行ですね。何の予備知識もなく、ぶらりと訪れた」
満州時代の建物が残っていることは一応知っていたが、実際にたくさんの建物が残っているのを目の当たりにして、とても驚いた
「正直、日本人として誇らしかった。あまりにも巨大な建物で、デザインも美しいと思った。でも、すごく複雑な気持ちでもあったんですよ。当時、中国の人はこの威圧的なビルを見上げてどう感じたのかな、とも思いましたから。大連や旅順も訪れた。どこへ行っても満州時代の建物が迫ってくるように感じた。いったいこれは何なんだろう、と思ったことが撮影のスタートです」
中国の都市には近代的な高層ビルが林立している。それと比べれば満州時代の建物はずっと小さい。なのに、なぜ船尾さんは「あまりにも巨大」と感じたのか。
「今の中国の建物って大きいけれど、ちょっと安っぽいじゃないですか。だからあまり重厚感を感じないし、美しいとも思わないんですけれど、満州時代の建物を真下から見上げるとすごく重厚感がある。大理石を積み重ねて柱を作ってあったりするわけですよ」
それに手で触れると「日本はあの時代にこれだけすごいものをつくったんだなあ」と、素直に思った。
「後で知ったのですが、セントラルヒーティングシステムを導入していたりして、本当にモダンなつくりだった。それだけのものをつくり上げようとした当時の日本人の熱量というか、自信というか、それはやはり認めるべきだと思った。写真家として、この建物を記録したいという欲望が湧いた。それに尽きますね」