いすみ鉄道。大多喜城(千葉県大多喜町)を背に夷隅川を渡るキハ52(左)とキハ28。現役の旅客車両としてはともに最後の1両だ(撮影/伊ケ崎忍)
いすみ鉄道。大多喜城(千葉県大多喜町)を背に夷隅川を渡るキハ52(左)とキハ28。現役の旅客車両としてはともに最後の1両だ(撮影/伊ケ崎忍)
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 ガタン、ゴトン──。

【写真特集】残存する昭和の車両たち

 キハは、のどかな里山の中を走る。

「この揺れるのがいいんだよ」

 福島県から来たという男性(60)はそう言うと、カップ酒を開け、うまそうに飲み始めた。友人たちと1泊2日で近くの養老渓谷温泉にやって来て、その途中で乗りに来たのだという。目を細めて言った。

「子どものころ、よく乗ったっぺ」

 千葉県の房総半島を走る「いすみ鉄道」(本社・千葉県大多喜町)は、大原駅(いすみ市)と上総中野駅(大多喜町)を結ぶ26.8キロのローカル線だ。美しい心象風景のような日本の田舎を、列車は行く。

 週末に走るのが、このキハ52とキハ28を連結した車両。「首都圏色」(通称、タラコ色)のキハ52と、「国鉄気動車一般色」(朱色とクリーム色のツートンカラー)のキハ28。角張った顔つきは、現代の車両には見えない。それもそのはず、ともに、半世紀ほども前に製造された国鉄車両だ。 

 JRが発足して31年。ブームの「ななつ星」(JR九州)などクルーズトレインはじめ続々と新型車両が導入されているが、車両の世代交代が進むたびに国鉄型車両は姿を消している。

 キハ52とキハ28は、ともに残存率1%と、もはや「絶滅」の一歩手前。ともに、いすみ鉄道に残るのが最後の1両となった。

 いすみ鉄道は87年、JR木原線を引き継ぐ形で設立された第三セクターだ。しかし、赤字続きで、00年代後半には廃線も取り沙汰された。

 そこにやって来たのが「公募社長」として知られる現社長の鳥塚亮(あきら)氏(57)。筋金入りの鉄道マニア。外資系航空会社で部長職をしていた時、父親の実家がある外房地域の人口が減るなか「こいつまで廃止にしちゃうのか」と嘆き、応募を決めたという。

 人が減っているなら田舎を売り物にすればいい。こうして導入したのが、旧国鉄車両のキハ52とキハ28だった。

 ちなみに、キハのキは「気動車」、ハは「普通車」の意味だ。キハ52は65年製で、10年3月まで長野と新潟両県を結ぶJR大糸線を走っていた3両のうちの1両。11年4月からいすみ鉄道で運行を開始した。一方のキハ28は64年製。11年2月までJR西日本の高山線を走っていたのを12年10月、いすみ鉄道が譲り受けた。

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