東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
この記事の写真をすべて見る
本当の問題はそこにはない(※写真はイメージ)
本当の問題はそこにはない(※写真はイメージ)

 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

*  *  *

 国際政治学者・三浦瑠麗氏の発言が波紋を広げている。2月11日の報道バラエティー「ワイドナショー」で、同氏が日本国内には北朝鮮の潜伏工作員(スリーパーセル)が多数存在し危険であると発言、その妥当性が問われているのである。

 三浦氏への批判は大きく二つに分けられる。ひとつは工作員の存在の指摘そのものが根拠薄弱で、公の場で語るべきではないというものであり、もうひとつは、指摘そのものは妥当だが、彼女の発言は在日韓国・朝鮮人へのヘイトに利用されかねないもので慎重さを欠いていたとするものである。

 三浦氏は第1の批判に対しては反論を公開している。彼女の主張は、工作員の存在についてはその本性上、根拠を公にするのがむずかしく、かといって語らなければ永遠に危険性は知られないままなのだから、多少根拠薄弱と言われても積極的に話題にすべきというものである。この反論には理がある。安全保障では公に語れることと語れないことがあり、国民もときに政権を「信頼」することが必要である。すべて情報をオープンにしろ、そうでなければデマだと迫るのは素朴にすぎる。

 しかし三浦氏は、騒動後2週間以上が経ついまも、第2の批判に対してなにも答えていない。この沈黙は理解しがたい。第2の批判の要諦(ようてい)は、氏がヘイトを意図したか否かにはない。いまの日本には残念なことに、在日韓国・朝鮮人を中傷し、憎悪をぶつけることに喜びを感じている恥ずべき人々がいる。彼らはつねに口実を探しており、三浦氏の発言はその追い風になっている。氏もそれは知っているはずだ。だとすれば、安全保障の論議を冷静に行うためにこそ、自分の発言が歪(ゆが)めて歓迎されている現状にきっぱり否をつきつけるべきではないのか。

 この騒動ではまたもや不毛な左右対立が演じられている。左は三浦氏を批判し、右は擁護する。左は人権を大切にしろと叫び、右は安全保障はどうでもいいのかとほえる。しかし本当の問題はそこにはない。議論の最大の障害は、なんでもかんでも在日たたきの口実に使う恥ずべき人々の存在なのだ。保守とリベラルはいまこそ反ヘイトで連帯すべきである。

AERA 2018年3月12日号