ソチ冬季五輪で銀メダルを獲得したスノーボード女子アルペン・竹内智香選手が「AERA」で連載する「黄金色へのシュプール」をお届けします。長野五輪を観て感動し、本格的に競技をスタート。2018年2月の平昌五輪では念願の金メダル獲得を目指す竹内選手の今の様子や思いをお伝えします。

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 みなさん、はじめまして。スノーボーダーの竹内智香です。

 いきなりですが、私は今、ニュージーランドに来ています。日本は夏真っ盛りの時期。ということは、南半球は真冬の季節。そう、スノーボードシーズンの幕開けに向けて、私は冬山でトレーニング合宿を行っています。

 これまでパラレル大回転の選手として、過去に4度の冬季五輪に出場してきました。そして前回の2014年ソチ五輪では、メダリスト(銀メダル獲得)になることができました。

 私にとって五輪は、これまで何よりも特別な存在でした。スノーボードを始めたきっかけも、とにかく五輪に出たかったから。北海道の旭川が故郷で、子どもの時から雪になじみ、ウィンタースポーツも大好きでした。私が中学生だった頃にテレビで見た長野五輪。そこで活躍する選手たちの姿が目に焼き付きました。そして「私も五輪に出る!」と決めたのです。

 普通は小さな頃からやっていた競技があって、成績がどんどん上がった先に選手を目指すものだと思います。ただ、私の場合は違いました。五輪に出ると決めた瞬間から、「どの競技なら出られるのか」と真剣に考え、競技を選別していったのです。そして「これで行こう!」と決めたのが、スノーボードでした。だから育った環境が違っていたら、夏の五輪の競技を選んでいた可能性もあったのです。確かに長野五輪は自分に影響を与えましたが、意外に強く記憶に残っているのは体操の池谷幸雄さんやマラソンの高橋尚子さんだったりします(笑)。とにかく、格好良くメダルを取っていた選手に憧れていました。

 そして、来年2月に迎える平昌(韓国)五輪。私にとっては5度目の大舞台であり、集大成にしたい大会です。前回銀メダルを獲得した時のことは、今でもすごく覚えています。現場にいた日本人やメディアをはじめ、自分も決勝を前にしてメダル獲得が決まったことに、どこかホッとした雰囲気がありました。ただ、決勝で戦ったスイスのパトリツィア・クンマーの周りにはそんな空気はなかった。それが、金メダリストの彼女と銀メダリストの私の差だったと思います。

 金を取れなかった悔しさが、平昌までの原動力になっています。五輪の本番まで、あと200日を切りました。特別な舞台で金メダルを取るために、大切な毎日がすでに始まっています。

(構成/西川結城)

AERA 2017年9月4日号