学校や会社など、「組織」に合わないという人がいる。どうしても、合わない人のほうが肩身が狭くなりがちだが、「探究型学習」の第一人者である矢萩邦彦さんは、著書『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)の中で「そのような人こそ希望的である」と断言していいる。なぜ、そう断言できるのだろうか。本から抜粋して紹介したい。

【写真】矢萩邦彦さん

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 現在広く受け入れられている仮説に、宇宙はおよそ138億年前に起こったビッグバンという大爆発で生まれたというものがあります。しかし、一点の爆発からはじまったとすれば、それはひたすら均一に拡散して冷めていくはずで、原子同士が出会うこともなく、それではぼくたち人間はおろか、星や銀河も生まれません。

 ぼくたちの存在を肯定することは、どうやら現代の科学だけでは難しそうです。

 では、どうして星やぼくたちは誕生したのでしょうか? 古代ギリシャの哲学者エピクロスは、原子をはじめあらゆるものは法則通りに振る舞うのではなく、自ら逸れていくと考えました。それを「偏倚」といいます。つまり、予測できない、変な動きをするということです。

 予測不可能ということは、すでに法則の必然性や絶対性を否定しています。これは科学には最初から限界があるという考えかたです。偶然や例外が必ず存在するというわけです。 

 さて、「偶然」変な動きをした原子は引力の波を起こします。別の原子とくっついたり、お互いに作用したりして「組み合わせ」が生じます。気が遠くなるほどの時間それを繰り返した果てに、「偶然」ぼくたちは誕生したということです。

 つまり、法則に従わずに遊ぶ原子が世界をつくったのです。従わずに法則から逸れた原子から宇宙が誕生し、地球や人類が誕生したという考えは、ぼくにはとても希望的に感じます。逆説的に考えると、原子がキチッと法則通りに動いていたら、この宇宙も地球も、当然ぼくたちも存在しなかったことになります。 

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「従わない」という選択に意味がある