沈まぬはずの“電機の巨艦”が1兆円超の巨額損失の渦に飲み込まれようとしている。原因は原発事業の失敗だ。成長期や昭和のニッポンを力強く牽引し、明日は今日より豊かな生活をもたらした名門企業で、一体何が起こったのか。そのとき社員や関係者は何を見て、どう感じたのか。そして何が元凶だったのか。AERA 2017年4月17日号では「苦境の東芝」を大特集。関係者証言やジャーナリストの分析で全貌に迫った。
壊れない電気釜、地上波を「全録」できるレコーダー……。イメージ戦略より商品力。泥臭く生活を支え、夢を実現してくれた「東芝製」ファンに話を聞いた。
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稼ぎ手だった半導体事業も手放すことになって、暗雲立ちこめる東芝の未来。でも、“明るい未来”もまだある。「東芝未来科学館」(川崎市)だ。
JR川崎駅の目の前、かつて照明器具の工場があった場所に2014年、移転オープン。子どもから大人まで、遊びながら科学を体験できる無料の施設で、オープンから2年半で、100万人の来場者を集めた人気スポットとして知られる。
春休みのこの日も、平日ながら親子連れで大にぎわい。係の人が言う。
「(この施設の)撤退などの予定はありません」
それより驚いたのは、ここで紹介されていた、東芝が生んだ「世界初」「日本初」の製品の多さだ。
かのエジソンから直接指導を受けて作られたという「日本初の白熱電球」(1890年)に始まって、「日本初の電気洗濯機」(1930年)、「日本初の自動式電気釜」(55年)などなど、高度成長期の奥さま、憧れの家電1号機も多い。また「日本初の日本語ワープロ」(78年)や「世界初のラップトップコンピューター」(85年)など、ハイテク時代のおハツもある。
●目新しくないが便利
自分にとって昭和の東芝は、アニメ「サザエさん」(フジテレビ系)や、日曜夜のドラマ枠「東芝日曜劇場」(現日曜劇場・TBS系)の提供と、「光る光る東芝~」のイメージソングのイメージが強いが、実は昭和の暮らしを変えた、まさに(CMの巻き舌で)「リーディング・イノベーション」な企業だった。