一方、宗教者にとって「3・11」は、宗教のあり方を考える大きな転機となった。
12月上旬。被災者1千人近くが暮らす宮城県石巻市の仮設住宅「開成団地」の一角にある集会所で、宮城県栗原市の曹洞宗通大寺の住職、金田諦應(かねたたいおう)(60)は、70代の女性と向き合い、こんな会話を楽しんだ。
女性:洗濯機が壊れたんだ。
金田:ええ!? 洗濯どうしてるの?
女性:コールセンターに電話して、来てもらったけど、直らなくて。新しいのを買ったんです。
●被災地で傾聴の活動も
この日開かれたのは、移動傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」。モンクは英語で僧侶の意で、「文句」の意味もかけられている。
7人の僧侶たちが仮設住宅に暮らす住民を迎え入れた。彼らは宮城県や岩手県、群馬県からやってきた僧侶たちだ。表だって布教はしない。お茶やケーキが用意され、BGMはジャズ。そんな中で、僧侶は住民と談笑したり、一緒に数珠をこしらえたり。3時間ほどの間に、仮設住宅に暮らす15人ほどの住民が入れ代わり立ち代わり訪れた。住民一人ひとりを見送りながら金田は言う。
「みんな笑顔になったけど、最初のころはつらい話がいっぱいあったんだ」
先の女性は石巻市雄勝町(おがつちょう)で暮らしていたが、地震による津波で高台にあった家は土台がずれ、漁師をしていた夫の船も流された。近くに住んでいた妹の一家3人が津波にさらわれ亡くなった。女性は今、夫と仮設住宅で暮らしている。帰り際に女性は、
「こうして話を聞いてもらえるのが一番楽しいです。また来ます」
と、笑顔で集会所を後にした。
金田がカフェ・デ・モンクを始めたのは、やはり震災がきっかけだ。
震災から四十九日にあたる11年4月28日、金田は仲間の僧侶やキリスト教の牧師たちと、被害の大きかった宮城県南三陸町の海岸を追悼行脚した。
遺体やヘドロの臭いが混じり合う道を歩き、市街地から海岸へたどり着き、破壊された街を見た時、全員が言葉を失った。僧侶は経文を唱えられなくなり、牧師は賛美歌を歌うことができなくなった。金田は、空に向かい、涙を流しながら慟哭(どうこく)するしかなかった。
大乗仏教には、この世は虚妄(こもう)であり、あなたの作り出した妄想であるという認識論がある。津波で破壊された街は嘘なのか。俺は涙を流し慟哭している。だったらこの慟哭も嘘なのか──。13歳で得度し、真摯(しんし)に仏門に向き合ってきたが、ここまで深い問いを得たことはなかった。
●心のケアに臨床宗教師
「今まで身にまとってきた、美しい宗教言語がすべて崩れ落ちたのです」(金田)
宗教者としてどのように向き合えばいいのか。悩み抜いた末、被災者に寄り添いながら相手の声に耳を傾けることこそ、宗教者の使命だと気づいた。11年5月、カフェ・デ・モンクの活動を始めた。
「僧侶の役割は仏の教えを伝えること。それは正しいやり方で、否定するわけではないけど、被災した人たちに説教なんてできない。嘘くさく聞こえる」