自分の心を変えなくてはいけない。そのために、登山を始め自然と触れ合うようにした。都会で生まれ育った向島は、自然にはこれだけ多くの動物がいて植物があることに気がついた。普段から弁当を作り、マイ箸を持ち、買い物にはエコバッグを持参。会社には環境に負荷がない自転車で通勤するようになった。一つひとつはささいなことかもしれないが、こうした暮らしを向島は、

「奪わない生活です」

 と説明する。

 同じく、生長の家の信者で、主婦の菊池光珂(みか)(43)は、自分の暮らしの中で大量消費を見直すようになった。一昨年、自宅近くに区民農園の一角を借り、野菜作りを始めた。枝豆、オクラ、キュウリ、ゴーヤ、トマト……。自然の力が育てる野菜、その奥にある命を感じながら、地産地消を心がける。台所は、環境、資源の問題に直接結びついているからだ。

「自然と人とが共生できるライフスタイルを実践していくことが、真に信仰に生きることだと思います」(菊池)

 宗教は、人間だけにある精神活動といわれる。追悼と鎮魂を通じて震災と向き合うようになった宗教者がいる。

 山岳信仰で知られる山形県の出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の羽黒山伏。羽黒山伏の起源は、奈良時代以前までさかのぼるといわれる。その羽黒山伏の最高位「松聖(まつひじり)」を務めた星野文紘(ふみひろ)(70)=山伏名・尚文(しょうぶん)=は毎朝、祈りをささげる。

「震災で、多くの人が好むと好まざるとにかかわらず命を落としています。その人たちへの祈りです」

 羽黒山のふもとで400年つづく宿坊「大聖坊(だいしょうぼう)」の13代目でもある。山伏には「霞場(かすみば)」と呼ばれる独特の縄張り制度がある。羽黒山伏の霞場は、震災と津波、そして原発事故で損害を受けた福島県浜通りの相馬地方だった。

 震災から1カ月近く経ち、星野は相馬と南相馬に入った。何十年も足を運んできた町は、津波にのみ込まれ変わり果てていた。檀家(だんか)を含め大勢が亡くなり、生き残った人も亡くなった家族の供養ができず苦しんでいた。
祈りで現実は変わるか

 山伏にとって祈りは日常だ。肉体は土に返るが、魂は生き続ける。その魂にいつも安らかにいてくださいと祈る。しかし、突然の災害で死へと追いやられた人の苦しみは計り知れない。

「苦しい時こそ祈るのが山伏の務めではないか」

 震災100日目の11年6月18日、星野は一門を率い相馬市で慰霊祭を開いて護摩をたき、鎮魂と慰霊を行った。また、弟子とともにフェイスブックなどで世界に般若心経の写経を呼びかけた。

 同年10月、世界中から集まった約1万3千巻の般若心経の写経を、「死者が還る」といわれる月山(1984メートル)の山頂に埋め、経塚(きょうづか)を建てた。

 今も星野は年に3、4回、相馬から南相馬の海沿いを、白装束の山伏姿で供養して歩く。16年4月、地震が起きた。台風や豪雨による惨事も多く、世界各地では紛争や内戦が続く。星野の祈りにはそうした災害や戦争で亡くなった人への祈りも入っている。星野は言う。

「祈りで現実は変えられないかもしれない。でも、祈りをささげることで、被害にあった人たちを忘れない」

 日本は今、貧困と格差が広がり、ブラック企業が横行する。閉塞(へいそく)感が多いとらえどころのない不安に、救いを求める人もいる。こうした声を宗教はどう受け止めるのか。いや受け止められるのか。(敬称略)(編集部・野村昌二)

AERA 2017年1月16日号

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