●元「金妻」プロデューサーは横のつながりにかけた
現役時代は都心で働き、郊外に家を持ち、老いの段階を迎えたら地域に足場がない──。ニッセイ基礎研究所社会研究部主任研究員の土堤内(どてうち)昭雄さんは、そんな元企業戦士たちが、どう幸福な老後をつくり上げるかに注目している。企業社会と地域社会とでは、コミュニケーションの仕方が違うことに、いかに早く気づくかがカギ。上意下達のタテ社会的振る舞いは地域では通用しない。横のつながりこそが「地域」だからだ。地域にソフトランディングするには、さまざまなネットワークをまたいでつながりを持つ「ノード」(結節点)な人とつながることだと、土堤内さんは提案する。
ドラマ「金曜日の妻たちへ」(1983年)を担当した元テレビプロデューサーで、映画監督でもある飯島敏宏さん(83)は、まさに「ノード」なキーパーソンに出会った。小林一朋さん(81)だ。小林さんが会長を務めるラジオ体操会に足を運んだのが、「実質、私が地域に触れた最初のきっかけになった」と飯島さんは振り返る。
30代で町田市成瀬台に家を建て「ニュータウン」に暮らした飯島さん。現役時代は文字通り、家には寝に帰るだけで、隣人と話したこともなかった。
小林さんとは、今や地元の「成瀬台まつり」で共に「まるたんぼう」を担ぐ仲。野球場ほどもある公園にちょうちんを飾るため、支柱となる丸太30本を担ぎ込み、手作業で電線を張る。「ほぼ100%地元民による手作り」の夏祭りだ。運営費も地元の人たちの寄付が中心で、ラジオ体操会も夜店を出す。住民が力を結集し、額に汗して形にする祭りを舞台に、飯島さんは映画「ホームカミング」(11年公開)を撮った。
「『金妻』は核家族がテーマ。これからの理想って何?と問うた。それから30年以上たち、今度は『横のつながり』だよと。家族も地域コミュニティーもどう再生していくのか、私が身を置くまちから考えてみたくなってね」
「祭り」の運営では、手作りをやめて作業を業者に任せようという提案もあったが、小林さんらが猛反対した。祭りの開催は土日で、後片付けをする月曜日は、現役世代は出勤だ。定年後のおやじたちが若い世代を手伝える絶好の機会でもあるのだ。飯島さんは言う。