『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)などの著書がある島田さん。アメリカや韓国と比べても日本の葬儀費用は桁違いだ(撮影/写真部・岸本絢)
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『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)などの著書がある島田さん。アメリカや韓国と比べても日本の葬儀費用は桁違いだ(撮影/写真部・岸本絢)
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「終活」といった言葉が登場するようになり、生きているうちから葬儀について考える機会が増えた。葬儀は一般的なものでも平均200万円程度かかるとのことで(2014年の日本消費者協会の調査で平均約189万円)、その負担は決して小さくはない。最近では通夜や葬儀を行わない「直葬(ちょくそう)」など、低予算できるものも増えているが、そんななか、『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)などの著書もある宗教学者の島田裕巳さんが提案するのが「0(ゼロ)葬」だ。一体どんなものなのか。

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 遺骨は火葬場に引き取ってもらい、墓を造らなければいいのではないか。私が提案している「0葬」は、そういうやり方だ。
 そんなことができるのかと思われるかもしれないが、欧米では遺骨を引き取るかどうかは遺族の意思に任されている。

 日本でも、東日本では遺骨をすべて持ち帰る「全骨収骨(拾骨)(ぜんこつしゅうこつ)」だが、西日本では「部分収骨」で、全体の3分の1、あるいは4分の1程度しか持ち帰らず、残りは火葬場で処分される。

 確かに多くの火葬場では遺骨を引き取ることが原則になっているが、遺骨を遺族が引き取らなくてもよいという火葬場もある。考えてみれば、部分収骨では、遺骨の半分以上は火葬場で処分されているわけなので、全部を処分してもらっても構わないわけである。東日本にも、一部だが、そういう火葬場があり、私の知っている葬儀社では、0葬のプランを設けているところもある。

 直葬にした上、0葬では寂しいと感じる人もいるかもしれない。だが、そのときにはすでに本人は死んでいるわけで、寂しさを感じるわけではない。すべては生きている人間の想像力によるもので、土葬されることを考えると、寂しいどころか恐ろしいと感じる人もいるだろう。逆に、イスラム教では、火葬は地獄の火に灼(や)かれるようだと考え、必ず土葬を選択する。イスラム教の国には、そもそも火葬場がない。

AERA 2016年1月25日号より抜粋