引退は、9月半ばに決めた。10月14日、生まれ育った岡山市で記者会見した高橋大輔(28)は、晴れやかな表情。
「8月まではショーがあり忙しく生活していたのですが、それがふとなくなった時に、引退の気持ちが大きくなりました。1年間考えようと思っていましたが、悩んでいても気持ちにモヤモヤとしたものが残り、次に進むためには一度線を引こうと思ったんです」
そして、こうも話した。
「今の段階ではコーチや振付師という選択肢は考えていません。まず本当にスケートと向き合いたいのかどうか、根本的な自分の気持ちを確かめたい。1、2年はスケートから2、3歩引いた生活をする中で、スケートへの情熱を確認していければ」
この言葉を聞いて、驚いた人もいたかもしれない。でも、彼を10年取材してきた者としては「無理もない」と思う。
高橋の周りにはサポーターが自然と集まり、食事は管理栄養士、生活面はマネジャー、相談事は母やコーチ、そしてモチベーションはファンが高めてくれた。自ら人生を考え決断するために、手厚すぎるサポートからあえて離れる覚悟なのだ。昨季の終わりには、こう話していた。
「スケートに関しては管理してくれる人がいて、何でも彼らに聞けば大丈夫という状態。こんな年下の自分に、文句一つ言わずによくついてきてくれるな、サポートしてくれるなって思います。だから今の自分は1人じゃ何もできなくて、飛行機の予約も自分でしたことがないくらい、人頼りで生きてきました。逆に、引退後が不安で仕方ない」
バレエやダンスを見に行きたくても、チケットの買い方が分からず、テレビやインターネットで我慢していたというほどだ。
実母の教育方針の影響もあるだろう。引退会見に出席した母・清登(きよと)さんは、こう語りかけた。
「選手時代に成績がどうこうということは言いませんでしたし、選手が終わってからの人生のほうが大事なんだということを、大輔にも長光(歌子)コーチにもずっと伝えていました」
将来については、高橋はこう話していた。
「自分はトップよりも、2番手みたいなほうが向いている。すごい人の右腕みたいなのがいい。1人じゃないほうがいいですね」
指導者やプロスケーターは、結局のところ一匹狼。自分の性格にピタリと合う道を模索しようとしているのか。
※AERA 2014年10月27日号より抜粋