戸田奈津子(とだ・なつこ)/1936年生まれ。東京都出身。津田塾女子大学卒。20~30代は、戦前から2000本近い映画の字幕を翻訳した清水俊二氏に師事。80年に「地獄の黙示録」で本格的に字幕翻訳家としてデビュー。以後、数々の映画字幕を担当。通訳としても活躍し、ハリウッドスターからの信頼も厚い。著書に『字幕の中に人生』(白水Uブックス)、『KEEP ON DREAMING』(双葉社)など。(撮影/写真部・片山菜緒子)
戸田奈津子(とだ・なつこ)/1936年生まれ。東京都出身。津田塾女子大学卒。20~30代は、戦前から2000本近い映画の字幕を翻訳した清水俊二氏に師事。80年に「地獄の黙示録」で本格的に字幕翻訳家としてデビュー。以後、数々の映画字幕を担当。通訳としても活躍し、ハリウッドスターからの信頼も厚い。著書に『字幕の中に人生』(白水Uブックス)、『KEEP ON DREAMING』(双葉社)など。(撮影/写真部・片山菜緒子)
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「地獄の黙示録」の名シーン。沼に潜み、カーツ大佐の暗殺を謀るウィラード大尉(マーティン・シーン)(c)2019 ZOETROPE CORP. ALL RIGHTS RESERVED.
「地獄の黙示録」の名シーン。沼に潜み、カーツ大佐の暗殺を謀るウィラード大尉(マーティン・シーン)(c)2019 ZOETROPE CORP. ALL RIGHTS RESERVED.

 気になる人物の1週間に着目する「この人の1週間」。今回は「この一作で運命が変わった!」という戸田奈津子さん。40年以上前、字幕翻訳家としての道を切り開いてくれた映画がある。「地獄の黙示録」との出会いが、すべての“出発点”だった。

【画像】沼から顔が…「地獄の黙示録」の名シーンがこちら

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 74年前、疎開先の愛媛から帰ったばかりの少女の目に映った東京の景色は、どこもかしこも灰色だった。食べるものも満足になく、いつもおなかを空かせていた。そんな中、“娯楽”と呼べる唯一のものが、会社勤めをしていた母親と待ち合わせ、新宿の映画館で観た洋画だった。少女は、たちまち洋画に恋をした。

「それから中学に進学して、英語の授業が始まったのです。あの映画の俳優たちがしゃべっている言葉を習うのだと思うと、胸がときめきました。とにかく映画が大好きだったので、『映画の中のあの言葉を知りたい!』と思ったのです」

 戦争で夫を亡くした母は、手に職もなくいろんな苦労をした。同じ轍は踏むまいと、娘は大学に進学。母娘の間では、卒業したら安定した職を得て、今度は娘が母を養うのだという暗黙の了解があった。

「周りの友人たちが、就職の話を始めるようになって、スチュワーデスやら公務員やら教員やら、いろんな職業を口にしても、私は、どの職業にも魅力を感じることができませんでした。そんな中、『映画と英語を両立させられる、字幕翻訳の仕事はどうだろう?』と、はたと思いついた。でも、字幕翻訳家になるにはどうしたらいいか、知っている人は誰もいない。それで英米映画の最後に必ず出てくる清水俊二先生のことを思い出して、電話帳で先生の住所を調べ、『字幕翻訳がしたいのですが』と、お手紙を書いたのです」

 それから、清水さんと会うことはできたものの、「とにかく難しい世界だから」と言われてしまう。戸田さんは、大学の教務課に勧められるまま、大手生命保険会社の秘書室で、英語文書を扱う仕事に就いた。でも、初日で、「会社勤めは向いていない」と思い、1年半で退職した。

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