人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「横浜で起きていること」。
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久しぶりの横浜だった。かつて等々力の実家に住んでいた頃は、できたばかりの第三京浜でひとっ走り、都心に出るより近いので、映画も食事も横浜。三島由紀夫の『午後の曳航』のモデルになった小粋なホテルもあってよく遊びに行った。
巨大なビルが立ち並ぶようになってから、私の横浜は消えてしまってあまり行かなくなった。
先日、仕事で本牧に出かけた帰り、中華街で食事をしようということになり、馴染みの店を予約して午後六時頃到着。
不思議だ。この時間になって誰もいない。今日は休みだったのかと思ったが、中華街の春節最後の日とあって入口には華やかな飾りつけがしてある。まるで青森のねぶたのような……。
案内されて奥の間の席に着くまで、一組の客の姿もなかった。
こうなると不気味である。なぜ誰も客がいないのか。いつもなら席は埋まり、日本語や中国語が飛び交っているのに。家族連れもいれば男女のカップルもいる。女子会や、時期が時期だけに遅めの新年会を開いているグループもいて時間とともに盛り上がってくるはずだ。しかも土曜日である。
理由はただ一つ。新型コロナウイルスの広がり、しかも横浜の大黒ふ頭に着いた大型クルーズ船以外に考えられない。すでに香港で降りた乗客から、人から人への感染が起き、しかも三七〇〇人という乗客乗員に広がって多くの感染者が発表される。
といっても船という特殊な空間であり、場所的にも離れているのに、横浜の街全体が沈んでいる。春節には多数訪れる中国からの観光客の姿がまったくない。
メニューは、春節の特別メニューで見た目も美しく飾られている。せめて、それを食べてみようか。
私たちにサーヴしてくれる男性は小柄で色浅黒くきりっとしまった表情をしている。口を開くとその日本語の正確で美しいこと。出身を聞いてみると、カンボジアだと言った。