江本孟紀さん(C)朝日新聞社
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ありし日の野村克也さん(C)朝日新聞社
ありし日の野村克也さん(C)朝日新聞社

 球界を代表する名捕手、野村克也氏が死亡した。84歳だった。

【写真】南海時代の野村克也さんと巨人時代の王貞治さんの貴重なツーショット=1965年

 警視庁などによると、11日未明に東京・世田谷区の野村さんの自宅から119番通報があり、家政婦が浴槽の中でぐったりしている野村さんを発見。野村さんは病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 プロ野球ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスなどで監督を歴任。「ID野球」と称されたデータを駆使した戦術でチームを日本一に導いた。

 野村さんは京都府の峰山高校から1954年にテスト生として南海に入団。南海時代には三冠王に輝き、プレーイングマネジャーとしてリーグ優勝、チームを日本シリーズに導いた。

 南海を退団後は、ロッテ西武で活躍。その後、ヤクルトスワローズの監督として、1993年、95年、97年と3度、日本一に輝く。1989年にプロ野球殿堂入り、1993年には正力賞を獲得した。通算本塁打657本、1軍試合出場数3017試合はプロ野球歴代2位。MVP獲得5回、ベストナインは19回受賞。

 まさに球界を代表する、捕手で指導者だった野村氏。南海ホークスでプレーイングマネジャーだった野村さんに見いだされ、活躍した野球評論家の江本孟紀氏が本誌にこう思い出を語る。

「実は野村さんと本を出版の予定で、昨年秋くらいから対談を重ねていました。最後は12月、都内のホテルで会いました。ここ数年、車椅子ではありましたが、元気そうでした。急なことで驚きました」

 本は徳間書店から発売の予定で、ほぼ原稿もできていたという。

「内容は野村さんが体験してきた、プロ野球の歴史という感じでしょうかね。巨人の王さん、長嶋さんと対決した時はこうだった、などの思い出話を話していました。80歳過ぎても『王がバッターで、ストレートのサインを出してやね』『長嶋は、外角が弱いので、攻めようと思ったら、ピッチャーがミスしてやな、エモよ』と記憶は鮮明で野村さんのぼやきも健在でした。一度、話し出すと、止まらない。何時間でも野球の話が続く。面白い対談集になると思って、原稿チェックまで済ませていました」(江本さん)

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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