徳仁天皇が皇太子時代に身に着けていた「黄丹袍」は、令和の即位礼では、皇位継承順位第1位の皇嗣である秋篠宮さまが身に着けることになる。
天皇の黄櫨染御袍は、祭祀でも用いるなど着用場面が多く、スペアも入れて何着かつくられる。
ちなみにいまは、草木染でなく化学染料を用いて染められている。
むかし、「陛下にどうしても草木染の束帯を着ていただきたい」という側近の希望で宮内庁は見積もりをとったが、驚くほど高額で断念したことがあったという。
もともと即位の儀式に用いられていたのは、「礼服」という唐風の衣装で、今の装束とは全く違う。
中国の皇帝が黄色を身に着けていたところから、中国びいきの嵯峨天皇が平安時代に「黄櫨染御袍」を取り入れたという。
この黄櫨染御袍の写真や映像に目を凝らすと、桐と竹、鳳凰(ほうおう)と麒麟(きりん)の文様が織り込まれているのがわかる。
古来、中国では皇帝が善政を敷くと、桐の実に鳳凰が舞い降りてくると言われる。有翼の獣である麒麟が加わり、鎌倉時代の末ごろには、天皇の装束に用いられた。
一方、秋篠宮さまが身に着ける「黄丹袍」の全体にうっすら見える丸型の織文様は、鴛鴦(おしどり)である「鴛鴦丸文様」だ。雄を鴛(えん)、雌を鴦(おう)といい雄雌の仲の良さを表す吉祥柄なので、じっくりと見てほしい。
平安以降伝わってきた束帯だが、室町時代末期に黄櫨染御袍など伝統装束が絶えた経緯がある。
「戦国の時代に、西陣織で知られる京都が戦乱に巻き込まれ織手が激減する。江戸の時代は、天皇は灰色がかった装束を着ていた時期もあった。それは寂しいということで、江戸時代の東山天皇の世で現在の色が再興されたのです」(装束に詳しい識者)
明治期の西洋化の波にのり、宮中の儀式には大礼服やローブデコルテなどの洋装が取り入れられた。
即位礼正殿の儀も洋装にすべきでは、という声は何度か出た。
昭和では、装束が高額であったため即位礼正殿の儀も大礼服にすべきでは、という声もあった。それでも、予算を節約しながら、令和の時代まで伝統の形は守られた。
皇后さまの装束である「十二単衣」は、正式には「五衣唐衣裳」という。
祭祀に臨む皇后は、五衣(いつつぎぬ)の上に小袿(こうちぎ)に長袴(なかばかま)とすこし簡易な装い。
即位礼正殿の儀に皇后が参列するようになったのは昭和の即位礼からである。