「ならば、もう引退してもいいんじゃないか」
そう思えた。
スポーツクライミングが五輪の新競技に決まったのは、そんな思いを抱いていた16年8月だった。
私は、五輪に出たいのか、どうか。
問いかけた疑問の答えは、なかなか出なかった。
「すごく迷った」
ただ、徐々にわき上がってきた思いの中に、復活すべき理由を見つけた。
「両親とか、クライミングなんて誰も知らないころからずっと応援してくれた人たちがいて。そのサポートは、すごく身に染みて感じている。日本の五輪で私のクライミングをその人たちに見せることができて、もしも喜んでくれるなら、やっぱり見てもらいたいって思った」
今も現役を続ける理由の全てが、五輪には詰まっている。
「東京がなければ、もうやめていたと思う」
復活した野口は、今季のボルダリングW杯で2年連続となる年間総合2位。世界選手権では銀メダルに輝き、東京五輪の表彰台はもちろん、金メダルも手の届くところにある。
この夏、世界選手権前日の記者会見。会場に現れた野口はうれしそうに笑って、こう言った。
「16歳の時に初めて世界選手権に出場した時は、こんなに取材の方もいなくて、もちろん会見もなくて。それから14年。まさかこんなに世界選手権が大きくなって、日本で開催されるとは思っていなかった」
クライミングを始めた当時の状況を語ってくれたことがある。
「好きではあったけど、友だちが知らないことをやっているのが恥ずかしくて。『クライミングっていうのはね』なんて、いちいち説明するのも面倒だし。だから、中学までは『私、いつやめるのかな』って思っていた」
今よりずっとマイナーなスポーツだったころを知っているからこそ、愛するクライミングが大きな注目を浴びている現状がうれしい。
「あと1年かけて金メダルを目指せるよう、もっともっとトレーニングに励みたい」
選手生活は、残りわずか。日本女子クライマーの先頭を走り続けてきた野口の引退試合を、かつてない大歓声が待っている。(朝日新聞社スポーツ部・吉永岳央)
※週刊朝日 2019年10月25日号