「競技をする上でどれだけ指導者を信頼できるかが一番大事。監督となら自分の目指す世界で勝負する選手になれるのでは、と感じていた」
中村はそう言う。
現在は駒大の近くに一人で暮らし、食事は陸上部の寮で取る。寮母でもあり、栄養士の資格を持つ大八木の妻が作る料理で栄養をつける。
藤田は大学4年の1999年、初マラソンのびわ湖毎日で2時間10分7秒の学生新記録(当時)をマーク。翌年の福岡国際で2時間6分51秒の日本記録(当時)を出した。
大八木監督は、中村にも大学時代にマラソンデビューさせようと考えていた。ただ、大学3年の時に走った熊日30キロでは25キロ地点で失速して3位だった。
大八木監督は「中村は藤田みたいにタフじゃない」とみて、マラソンデビューを見送る。けがなどもあり、結局初マラソンは社会人3年目までずれ込むことになった。
「中村には中村の練習パターンを作ってあげないといけない」
そう考えた大八木監督は、ひたすら距離を走る藤田パターンではなく、スピードが持ち味の中村に、距離走だけでなく、1000メートルを軸としたインターバルトレーニングにも重きを置いたメニューを与えた。
大八木は言う。
「時代は変わっていますから。中村にはスピードとスタミナのバランスを考えた合理的な練習をさせている」
こうした「スピード持久力」を高める練習が奏功した。
中村は明かす。
「MGCではマラソン4回目で一番いい状態で走れた」
暑さに強い体質と練習パターンの確立。そして本番とほぼ同じコースで勝ち抜いた実績。当然、来年への期待が高まる。中村は冷静に言う。
「本番はもっと前半が勝負になるのかな、と思う。最初下って、終盤の坂以外は平坦なコースだから、天候にもよるけれど、速いペースで進んでもおかしくない」
さらに最近の五輪や世界選手権の傾向をみて、
「1位と3位の選手には多少差がある。3位あたりなら勝負に絡んでいけるのではないか、という感覚がある」
武器は、MGCのラストの2.195キロを6分18秒でカバーした驚異的なスパートだ。
「あまり話をしないタイプだが、内に秘めた闘志をものすごく持っている」
というのが福嶋監督の中村評だ。
64年東京五輪で円谷幸吉が3位に食い込んだように、五輪最終日に日の丸が揚がる様子を思い描く。(朝日新聞社スポーツ部・堀川貴弘)
※週刊朝日 2019年10月18日号