試合では、なかなか勝てなかった。負けて泣きじゃくる息子に、「一緒にトレーニングしよう」と手を差し伸べたのが消防士の父・浩二さん(49)だった。活用したのは重さ3キロのメディシンボール。砲丸投げのように突き出したり、真上に投げ上げてみたり。ラグビーのパスのようにボールを横に投げる動作もやった。
「スポーツは円運動が大事や」と腰や腕をひねる運動を重視した。
「あれが正解やったのか、今もわからない。僕自身も背負い投げをイメージしてみて、どんな動きが大事なんやろうって。試行錯誤でした」
浩二さんは振り返る。
詩が柔道を始めたころ、「兄より妹のほうが素質がある」
と言う人もいた。
「一二三の柔道を見ていたから成長が早かったのでしょう。それと兄以上の負けず嫌い。試合で負けた時、次はやったるという闘争心は詩のほうが上だった」
高田監督は振り返る。泣きながらコツコツ努力を重ねる兄、その背中を見ながら伸び伸びと取り組む妹。周囲は詩のこんな勝ち気な言葉を覚えている。
「一二三の妹じゃなくて、いつか詩の兄ちゃんって言わせたい」
中学生で2人は全国区の選手に。ともに高校2年の時にシニアの強豪が集まる講道館杯で優勝。一二三の跡をなぞるように詩もきれいな成長曲線を描いた。
三つ違いのきょうだいは本当に仲が良い。この春、詩が大学進学のために仕立てた紺色のスーツの裏地は、一二三と同じものだった。照れる兄に「まねするな」と言われたが、「格好いいから」と迷わず選択。海外遠征にも着ていくお気に入りの一着だ。
兄が妹について、妹が兄について話す時、互いへの尊敬が言葉の端々からにじみ出る。
「切磋琢磨(せっさたくま)しながら、すごく刺激をもらっている」
と一二三。詩は、
「お兄ちゃんの柔道を見て学んできた。東京五輪で2人で優勝するために、自然と頑張ろうって気持ちになる」
きょうだいで金メダルを獲得すれば、夏季五輪では日本勢初の快挙だ。実現するかどうかは、一二三の立ち直りにかかっている。事実上2人に絞られた代表争い。まずは11月のGS大阪で、丸山に勝つ必要がある。
「もう一度、私を引っ張ってくれる存在になってほしい」
そんな妹の思いを受け、兄はかつてない逆境をはね返せるか。(朝日新聞社スポーツ部・波戸健一)
※週刊朝日 2019年10月11日号