世界中で右派と左派の中でも過激とされる政治勢力の台頭が報じられている。
これは海外に限ったことではない。日本でも、徐々にそうした傾向が強くなっていると感じることが増えた。
例えば、安倍内閣を支持する人たちと、これを否定する人たちの間には、非常に大きな断絶が生じているように見える。社会の中に、お互いが信じていることのみを是とし、それに反対するものを完全否定するという風潮が高まると、政党間の政策論争は影を潜め、相手にレッテルを貼って罵ることで、自分たちの支持層にアピールするという傾向が強まっていく。
先日、安倍政権のあるブレーンと話す機会があった。彼は、親安倍と反安倍が断絶して政策論争ができない状況を変えたいと考えている。そこで、そのためのネット番組を立ち上げたところ、立ち上げたネットサイトは、彼を安倍支持だと思い込んで集まった安倍支持の過激な人々に占拠されてしまい、ネット右翼のたまり場と化してしまった。
彼は、「古賀さんが参加してくれれば、反安倍の人が集まって、左右を問わず議論できる場になるかもしれない」と笑いながら言った。しかし、それも私に対する一種のレッテル貼りだ。皮肉なものである。
逆のケースもある。あるリベラル系のタレントは、自分を支持している人が左の人ばかりになってしまい、それが嫌で、右も左もなく日本のあり方を考える場を作りたいと思って、「過激な言葉で罵るのはやめよう」などと発信したのだが、それにはほとんど反応がない一方、少しでも政権批判めいたことを発信すると、待ってましたとばかりに、過激な言葉で安倍氏を罵るような人たちのコメントであふれるという。どうしたらよいのかと悩んでいた。
そうした傾向は私自身も強く感じている。
私は、安倍政権の安保政策やアベノミクスなどを強く批判したので、世の中からは、反安倍、反自民とレッテルを貼られているようだが、元々、私が世の中に出たのは、民主党政権のときに、現役官僚として、その天下り容認政策や原発政策を批判したことに始まる。38万部のベストセラーになった『日本中枢の崩壊』(講談社)は、ほぼ全編が民主党批判だった。今も、立憲民主党を含めた野党の批判もしているが、なかなか拡散していかない。