

戦隊ヒーロー出身の俳優にして、“スーパー銭湯アイドル”として新境地を切り開いた「純烈」リーダーの酒井一圭さん。昨年には悲願の紅白初出場を達成するも、元メンバーのスキャンダル問題で、再スタートを切りました。純烈のこれまでと今に、作家の林真理子さんが迫ります。
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林:リーダーはもともと戦隊もののヒーローだったんですよね。でも、撮影で大ケガをして、そのとき前川清さんが夢枕に立ったことが歌手になるきっかけだったとか?
酒井:いろんな要素があって、それも大きなきっかけです。もしあのケガがなかったら、たぶん俳優さんの道しか考えられなかったと思うんです。あのとき僕は32歳で、子どもが2人いました。もう若手でもないし、何の親孝行もできず、どうやって嫁と子どもを食わせればいいんだろうと思って追い込まれてたときで。そんなときに前川さんが夢に出てきて、「よし、ムード歌謡をやろう」って思ったんです。
林:なんでムード歌謡だったんですか。私が子どものころは、和田弘とマヒナスターズとかのムード歌謡が全盛で、すごくいい感じでしたけど。
酒井:オリコンのシングルチャート第1回の1位って、黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」だったんですよ。マヒナスターズの映画が石原裕次郎さんの映画と同時上映されてたんです。
林:ああ、そうだったかもしれない。
酒井:今のEXILEみたいな、ああいう男性グループのトップが当時のマヒナスターズで、それが歌謡曲の時代になり、さらにジュリーさんの時代、やがてジャニーズさんになってきて。そんな中で、小さいころによく聞いていた歌がよみがえる世代が、50~70代の方たちじゃないかと思ったんですね。
林:なるほどね。
酒井:それで、(純烈メンバーの)白川(裕二郎)と小田井(涼平)と、このあいだやめた友井(雄亮)を、僕が夜中のファミリーレストランに呼び出して、まだみんな事務所がバラバラだったので、一人ひとり口説いたんです。今のままお互い俳優としてやっていっても、僕らが大河ドラマとか朝ドラとか、大きな作品にメインどころとして加わるのは難しいし、脇役だって劇団から這い上がってきた腕利きが頑張ってる中に加わるのは難しいだろうと。だからみんな力を合わせてムード歌謡をやって「紅白」を目指そうという話をしたんです。それで皆さんに注目していただいて、何かオファーをいただいたらまた少し俳優に戻ってもいいじゃないかと。