帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
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東大の赤門 (※写真はイメージです)
東大の赤門 (※写真はイメージです)

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。死ぬまでボケない「健脳」養生法を説く。今回のテーマは「青春はいらない」。

*  *  *

【ポイント】
(1)青春の情熱と理想はすでに忘却の彼方に
(2)「幸せ度」は80代の現在の方がはるかに大きい
(3)人生後半の認知機能を高めるのは情動

 サムエル・ウルマンの詩「青春」はご存知でしょうか。多くの人たちに愛誦された詩ですから、覚えている方も少なくないと思います。一部を紹介します。

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。薔薇(ばら)の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎(も)える情熱をさす。(中略)ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」(『青春とは、心の若さである。』作山宗久訳、角川文庫)

 この詩に感動したのはいつ頃だったでしょうか。

 40代の前半、がんの征圧を夢見て食道がんの手術に明け暮れていた頃、それとも、40代の後半、埼玉県川越市に新しい病院を開設してホリスティック医学の確立を目指すようになった頃。記憶は定かでないものの、この詩のようにたくましい意志と燃える情熱をもって、理想を追い求めていたことは確かです。

 この詩は次のように続きます。

「頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして已む」

 ところが、80代に突入した私は、この詩のように青春の中にいるという気持ちは毛頭ないのです。20代の正真正銘の青春も、40~50代の情熱と理想もすでに忘却の彼方に吹っ飛んでしまいました。

「それでは寂しいではないか」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことは、まるでありません。貝原益軒が『養生訓』で「人生の幸せは後半にあり」と説いているように、「幸せ度」ということになると、吹き飛んでしまったわが青春よりも、現在の方がはるかに大きいのです。

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