SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「人工内耳」。
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NHKのニュースを見ていたら、人工内耳のことを取り上げていた。ニュース原稿を流暢に読み上げていたのは、自身、人工内耳を装着している記者であった。
人工内耳の性能がアップすることは、聾者にとってすごいことなのだと思う。個人差があるとはいうものの、いままでまったく音を聴くことができなかった人が聴けるようになり、自分の声でしゃべれるようになるかもしれないのだ。
聾の子を持つ親にとっても、それは奇跡のようなことに違いない。もし大センセイに聾の子供がいたら、きっと人工内耳を装着する手術を受けさせようと思うのではないか。
だが……。
大センセイ、聾学校を取材した経験があるので、人工内耳が進化し、普及が進むことを、単純には喜べない気がするんである。
ごく大ざっぱな言い方をするが、日本の公立の聾学校は、昔から聾者に日本語をしゃべらせる訓練をしてきた。ほとんど音が聴こえない子供に、五十音の唇の形と喉の振動のさせ方を教え込んで、日本語を“発声”させようとしてきたのである。これを口話主義という。
その一方で、多くの聾学校では、子供たちが自然に身につけてきた「日本手話」を授業中に使用することを禁止した。日本手話の使用は日本語の習得の妨げになるという理由からだ。
「日本語が発声できるようにしてあげることの、いったいどこに問題あるの?」
と疑問に思う人がいるだろうが、実はここにはとても大きな問題が潜んでいると思う。なぜなら、日本語と日本手話はまったく異なる言語だからである。
大センセイ、日本手話ができるわけではないから実感としてはわからないが、専門家の話によると、日本手話には助詞がなく、語順も日本語とはまったく異なるそうだ。つまり、もともと日本手話を話していた聾者にとって、日本語は“外国語”に他ならないのだ。