住んだところは、京都の下町です。老人が隠居するには、自然に親しめて、のんびりできる場所がいいと思うのが普通ですが、そこも違いました。
もとより、隠居するつもりなどなかったようです。市井の人となった後は、どこかに出来事があれば飛んで行って観察し、町の話題に耳を傾けて、それを丹念に記録したのです。
この見聞をもとに『翁草』200巻を書き上げました。この『翁草』は江戸時代を知る第一級の史料として、今もなお生き続けています。
そのうえ彼は、80歳になっても、1日に20キロから28キロ歩いていたというのですから、それも常識を超えた老人です。
私には、一日京都の市中を歩き回った後、なじみの蕎麦屋さんあたりでひとり一杯やっている杜口の姿が目に浮かびます。これは当時としてはずいぶん洒脱な生き方だったのではないでしょうか。
彼はこうして悠然と余生を送り、86歳であの世に旅立つことになります。静かで眠るが如くの最後だったといいます。人生の前半は病弱だった杜口が、80過ぎまで認知症などとは無関係にかくしゃくと過ごすことができたのはなぜでしょうか。
私は常識にとらわれない彼の生き方に、その秘密があったと思います。常識にしばられることのない自分を持つことで、杜口の生命力は高まっていったのだろうと思うのです。
※週刊朝日 2019年2月1日号