西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。死ぬまでボケない「健脳」養生法を説く。今回のテーマは「神沢杜口(かんざわとこう)」。
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【ポイント】
(1)常識にとらわれない人物だった神沢杜口
(2)家族とは暮らさず京都の下町で転居18回
(3)常識にとらわれないと生命力が高まる
常識とは世間で一般的な意見、考え方のことをいうようです。その意味では、私は常識にとらわれない方かもしれません。最近のいい例が初詣でしょうか。私は毎年、初詣を年末の31日に済ませてしまうのです(それは初詣とはいわないかもしれませんが)。
大晦日に親しい人たちと東京の柴又帝釈天(たいしゃくてん)に行って祈祷(きとう)してもらうのが恒例になっています。お正月の人混みを避けるには、これが一番いいのです。元旦には病院で回診をして入院患者さんに新年のあいさつをします。これも病院を開院した当初からの恒例です。
常識にとらわれないということで思い浮かぶのは、江戸時代に『翁草』という大作を著した神沢杜口(1710~95)という人物です。
彼は京都町奉行所の与力をおよそ20年間務めたあと、病弱を理由に退職し、娘婿に跡を譲ります。その数年後に妻を亡くし、周囲から娘婿夫妻や孫と一緒に暮らすことを勧められるのですが、本人はそれを断ります。
「家族というものは一緒に住まない方がいい。風向きによって遠い花の香りが時々、匂ってくるように、家族とは時々逢うほうが風情がある」
というのです。それは江戸時代としてはまれな常識外れの老後の過ごし方でした。
さらに普通の老人と違うのは、終(つい)のすみかをさだめて落ち着こうとはしなかったところです。
「仮の世の仮の身には仮のすみかこそよかれ」
と言って、42年間に18回も引っ越したというのですから、たいしたものです。