青いバケツを抱えた小林君が言った。
「これ、機械の中に残ってたサンデー。全部ウエストしなきゃいけないんだぜ」
「全部……」
ふたりが考えたことは、ひとつであった。
われわれはレジで売り上げのチェックをしている山中マネジャーから見えないよう調理器具の陰に身を隠すと、すかさずサンデーの中に右手をずっぽりと差し込んだのだ。掌に山盛りのサンデーを掬い取ると、それを目一杯にほおばった。
「こんな贅沢、生まれて初めてだ……」
大センセイが至福の体験にうっとりしていると、背後から山中マネジャーの声が響いた。
「おい、お前ら何やってる」
小林君がとっさに制服の袖で口を拭って、山中マネジャーの方に向き直った。
「何もしてません」
だが、次の瞬間、大センセイの鼻の穴から大量のサンデーが流れ出してしまったのである。
「バカ者、今度やったらファイヤーだぞ」
そう言って山中さんはレジの方に戻っていったが、明らかに背中が笑っていた。
短い間だったが、山中さんとはよく一緒に食事に行って、いろいろなことを話した。学生運動をやったせいで就職ができなかったと言っていた。いつも脱力していて、しかつめらしい言葉やしゃちほこばった態度が嫌いで、猛烈店長には面従腹背を貫いていた。
権力の犬という言葉はあるが、権力の猫という言葉はない。山中さんは実に猫的な人格の持ち主だったけれど、いま思えばずいぶんと傷ついた猫だった。
※週刊朝日 2018年12月28日号