落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「ネコ」。
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「実家でネコ飼ってるの」
大学の時、付き合い始めた彼女が言った。今までイヌしか飼ったことがない私。「ネコかぁ、イヌのほうがいいなぁ」と思ったが、どうせ実家の飼いネコだ。余程付き合いが深くならなければ、そのネコと会うことはないだろう。
「名前は?」
「斎藤」
「いや、ネコのだよ」
「だから、斎藤」
「○田だろ?」
「私は○田、ネコは斎藤」
「……あ、『斎藤』っていう名前なの? 名字があるの? ネコなのに? 斎藤、なに?」
「ただの『斎藤』。『斎藤』は下の名前だよ」
「……じゃ『○田斎藤』?」
「……ま、強いて言うなら」
家族で『斎藤』に決めたらしい。変わった家族だな。どうして『斎藤』にしたのか、理由を聞いたが忘れてしまった。私の名字が『斎藤』じゃなくて良かった。ネコを呼ぶのと同じ音で、彼女から呼ばれるのは複雑だ。
斎藤は雌ネコで白の雑種。彼女が高校生の時、もらってきたそうだ。ルックスはさほどではないが、声は抜群にかわいいらしい。ネコを好きでない人間にとっては、ネコってみんな同じ顔に見えるし、だいたいのネコは高い声で「ニャー」と鳴くんじゃないか?
「いいねぇ。会ってみたいなぁ、斎藤さん」。気もなくそう返しておいた。
それから7年経った秋のこと。彼女とはいろいろありつつ、結婚することになった。「やっぱりご両親に挨拶行かねばならんよね……?」「まあ、そうしてくれるとありがたい」
私は手ぶらで行ってしまった。しかも穴の開いたジーパンにネルシャツ。ヨレヨレのジャンパーに、かかとの潰れたスニーカー。私が父親ならそんな落語家の前座(26)なぞ絶対に家に入れない。でもご両親は私を笑顔で迎えてくれた。これで良かったんだ(絶対良くない)。
「今日は急に失礼します……いや、あの、まぁ……そういうことになりまして……あの……結婚したいなと……いかがでしょうか?」。挨拶としては最低である。私だったらこいつをぶっ飛ばす。