■後から一方的に公の場所で批判するのは、道理に反する
不満があるなら、その場で両方が納得できる妥協点を考えて解決のために向き合えばよかったのです。後から、一方的に公の場所で、「妻の要求がエスカレートして感覚がまひしていた」と批判してくるなんて、道理に反しています。妻のせいで夫である自分はストレスがマックスになったと言いますが、妻のストレスには無関心なのでしょうか。
育児にはストレスがつきものです。歩きまわる時期では危ないことをしないように少しも目が離せなくなります。トイレにいくだけで離れたからと大泣きされることがあるのです。かといって、ストレスを発散させるための時間なんてとれないわけです。美容院さえいけないんですから。
中田氏に対してカウンセリングにいくように勧めたのは妻なのだそうです。つまり、妻は中田氏に、自分では解決不可能である不満や不安を抱いていた、誰かに助けてもらいたいというSOSを出していたということです。それなのに、夫が病院でかけられた言葉を盾に「自分はやりたいことをやる」と反撃してきたら、今後、妻はいったいどうしたらよいのでしょうか。
彼は、「妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡してもいい」と書いています。私は特にこの言葉に嫌悪感を覚えました。親権を渡してもいいというのは、妻を優先しているように聞こえますが、実際は「育児は全て妻に任せる」ということです。「今後もし自分のやり方に不満があるなら、今後は一人で生きて育児もやってくれ」と言っているわけです。
■5年ほどで離婚するカップルに共通する四つのこと
男女の立場が違ってくることだからこそ彼の発言に賛否がでていますが、男女間の立場が全く関係ない、たとえば「動物の飼育」で想像してみたらどう思いますか。動物に対しストレスがたまったからと、「よい飼い主でいるのをやめて、自分のしたいことを優先します」なんて言ったら、男だろうと女だろうと、「動物を飼う資格がない」と非難を浴びて、賛同なんて得られないはずです。今回はそれが自分の妻と子どもに対しての発言なのですから、もし本当に世間の男女の立場を平等にして考えれば、「結婚して子どもをつくる資格なんてない」くらい言われて当然だと思うのですが。