今年5月、1800試合目で2000安打を達成した。
このほか1位指名ならずとも、名選手はあまたいる。
赤ヘル一筋だった前田智徳(熊本工、1989年広島4位)は、開幕戦先頭打者でプロ初本塁打を放った91年にレギュラーに定着、リーグ優勝を経験。同年から4年連続ゴールデングラブ賞を受賞した。イチローが「本当の天才は、前田さんですよ」と脱帽すれば、広島OBの山本浩二氏が「完璧主義者で天才だが、本当に努力家だった」とたたえる選手だった。度重なるけがから乗り越え、2002年にカムバック賞受賞。13年、チーム16年ぶりのAクラス入りを見届け、通算2119安打の記録を残し、引退した。
トレードマークのリーゼントヘアと、“ハマの番長”の愛称でファンに親しまれた三浦大輔(高田商、1991年大洋6位)。98年には12勝を挙げ、38年ぶりの日本一に貢献した。2005年にリーグ最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。現在はDeNAの球団スペシャルアドバイザーを務める。
中村紀洋(渋谷、1991年近鉄4位)はプロ野球通算404本塁打を放った強打者。2000年に本塁打王、00年と01年に打点王に輝き、ゴールデングラブ賞も7度受賞した。
福浦和也(習志野、1993年ロッテ7位)は、投手として入団するも、1年目の途中で野手に転向。2001年に首位打者に輝いた。つい先月、42歳9カ月で2000安打を達成したばかり。球団の生え抜きでは3人目となる偉業を達成した「幕張の安打製造機」は、まだまだファンに愛され続けている。
岩村明憲(宇和島東、96年ヤクルト2位)は、主力メンバーとして2001年の日本一に貢献。6度のゴールデングラブ賞に輝き、メジャーも経験した。
井川慶(水戸商、1997年阪神2位)は2003年に最優秀防御率、最多勝利、最高勝率、そして沢村賞にも輝いた元エース。04年にノーヒットノーランを達成し、06年にはポスティングを使ってメジャー挑戦を果たした。
同じくメジャーを経験した“ムネリン”こと川崎宗則(鹿児島工、1999年ダイエー4位)は、ムードメーカーとして日米でも愛された。2004年に最多安打と盗塁王に輝き、2度のWBCで優勝に貢献した。
中島裕之(伊丹北、00年西武5位)も08、09年に最高出塁率、09年に最多安打のタイトルを獲得し、その後メジャーを経験。現在はオリックス4年目を終えて1759安打を数える。
出世頭として挙げたいのは千賀滉大(蒲郡、2010年ソフトバンク育成4位)だ。
「お化けフォーク」と恐れられる落差の大きいフォークを武器に、16年から3年連続2桁勝利を挙げ、17年には最高勝率のタイトルも獲得。その年の日本シリーズでは、育成ドラフト出身者で初の開幕投手を務めた。
(本誌・緒方麦)
※週刊朝日オンライン限定記事