労使交渉やら、人員整理やら、公害の補償やら、どちらかと言えば会社の“尻ぬぐい”的な地味な仕事ばかりやってきた人間であることは知っていたが、社会に出た後もふらふらし続けていた大センセイは、父から何かビシッとした答えのようなものを聞きたかったのだ。「俺はかく生きた」というような。

「なんか、これをやり切ったとかさ、そういうのはないわけ?」
「うーむ。酒は会社で一番飲んだ」
「いや、仕事でさ。あれを仕上げたからもう死んでもいいみたいな」

 父はしばらく、虚空を見詰めていた。

「ねぇな」
「えっ、ないの?」
「ない」

 父は妙にきっぱりと答え、それを聞いて大センセイ、ひどく拍子抜けしたのを覚えている。

 父は会社を退職してから書道の師範を取って、自宅で書道塾を開いた。その傍ら、広い畑を借りて何種類もの野菜を育て、半自給的な生活を確立した。

 もしいま昭和君から、

「パパ、これを書き上げたからもう死んでもいいっていう会心の作、書いたことあるの?」

 と聞かれたらどうだろうか。父として、何かビシッとしたアンサーを示すべきであろうか?

「ねぇな」

 たぶん大センセイも、こう答える気がする。

 あれは謙遜でも自嘲でもなく、

「お前はお前の道をゆけ」

 という父の教えであったかと、大センセイ、最近になって思うのである。

週刊朝日  2018年11月2日号

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