「損なほうに賭ける性分なんでしょうかね。正しいことを正しいと言うために政治家をやっているんで、自分の保身のためだったら、こんな仕事やっちゃいかんですよ」


 
──93年、自民党を離党し、新生党と新進党に参加し、97年に自民党に復党なさいました。それが自民党内ではマイナスになっているという指摘もあります。
 
「政治改革法案をめぐり、自民党が党議決定したことをそのまま貫徹した結果なんです。私たちは若かったせいもあるけどね。昭和61年当選組で、当選3回になっていたけど、3分の2は自民党を出ましたからね」
 
──二階俊博・自民党幹事長も自民党を離党し、戻られていますね。

「同期では、今でも無傷で残っているのは園田先生と私だけになってしまいました。連続で11回当選させていただいています。『自民党を出たじゃないか』とか、『おめおめ、戻ってきやがって』とか言われたし、落選した人も一杯います。あの当時、小沢一郎自由党代表こそが真の保守だって、私たちは思ったんだよね。財政の健全性の回復、あるいは憲法の見直し。それを自民党が失おうとしていた。引き継いでいるのは小沢さんだと、信じたんだよね。 だから、それが違ったと気づいた時のショックはものすごく大きかった。総選挙(96年)前、私は新進党として戦おうと、ずっと地元で活動してきた。解散の日、ファックスで新進党から送られてきた公約には消費税は21世紀まで3%を維持、集団的自衛権は認めないという、それまで新進党で私が考えてきたこととまったく違う色が出てきた。 もし、新進党公認でこの公約のもとで戦って議席を得れば、任期中はその公約にずっとしばられる。それで新進党を離党して、無所属で戦うしかなかった。それから自民党に復党した。生涯で最大の挫折でした。でもね、それでもまだこうやって残っている。自民党幹事長も大臣も政調会長も務めさせていただいた。あの時に自民党を出て、落選してそのまま戻って来なかった人達は一杯いる。亡くなった方もいる。そういう人達の無念さや、悔しさを思うと、それはもう、ここで自己保身に走ることはできないんです」
 
──鳥取にお墓参りに行かれた理由は?

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