ただ、18年のハリルホジッチには、02年のトルシエのような支えがなかった。つまり、日本人に強い口調でダメ出しをする外国人を喜んで受け入れる層が、大幅に縮小していたのである。
良くも悪くも、日本のサッカーファンの自我と自信は、02年とは比較にならないぐらい肥大化していた。日本サッカー協会が前代未聞の決断を下すことができたのは、もちろん反発はあるにせよ、自分たちが世論から袋叩きにあうことはない、との読みがあったはずだとわたしは思う。
さて、わたしはこの原稿をイタリア・ウンブリア州にある小さな街で書いている。覚えている方がいらっしゃるだろうか、20年前に中田英寿がいたペルージャという街である。
あのころを思えば信じがたいことに、今回のロシア・ワールドカップにイタリアは出場しない。プレーオフでスウェーデンに苦杯を喫した彼らは、半世紀以上ぶりに、自分たちのいない世界一決定戦を観戦することになる。
意外なことに、それでいながらカルチョを取り巻くこの国の熱は、一向に衰えていないように感じられる。メディアでは移籍問題が連日大きく取り上げられており、もちろん、自国とは無関係のワールドカップに関する話題も満載である。ロシア行きを逃した衝撃も、イタリアのサッカー界が積み重ねてきた実績と自信を根絶やしにするまでは至らなかったらしい。
急遽監督の座を引き継いだ西野監督の選考や手法について、注文をつけたいところはもちろんある。ただ、この時期のイタリアにきたことで、ロシアでの戦いがどんな結果に終わろうとも、甘んじて受け入れる心の準備はできた気がする。
イタリアほどではないにせよ、日本のサッカーも自信と実績を積み重ねてきた。そして何より、我々はワールドカップに出場するのだから。
※週刊朝日 2018年6月22日号