ワールドカップ(W杯)ロシア大会終了まで7回にわたって、スポーツライター・金子達仁さんのサッカーコラムを短期集中連載します。今回は日本サッカー界の変遷と日本人の意識変化について。
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2002年はトルシエに噛みつきまくった。2010年はあまりにも短絡的で安直なサッカーに絶望し「負けろ、日本。未来のために」と書いて大騒ぎとなった。そうそう、読者の方からは「非国民!」なる投書をいただいたのも懐かしい思い出である。
そして今年2018年、どういうわけか8年ごとに仕事の依頼を下さる週刊朝日で、3度目の集中連載をやらせていただくことになった。
初登場からは16年がたったわけだが、振り返ってみると、ずいぶんと日本のサッカー、そして日本も変わったなと思う。
02年当時、わたしがトルシエ批判の急先鋒に立った最大の理由は、彼の発想が「日本人だからできない」という前提に立っているように感じられたからだった。後に彼と一緒に仕事をするようになり、その発言や指導法には多分に演技が含まれていたことを知ったが、植民地のボスのごとく振る舞う当時のトルシエが、わたしはどうしても好きになれなかった。
実際、日本サッカー協会内部にも、彼を嫌悪する勢力はかなりいた。ある有力者から、「もっと叩いてアイツを辞めさせちまえ」と冗談まじりに言われたこともある。それでも、トルシエが最後まで任期をまっとうすることができたのは、本人曰く「ファンの支えがあったから」だった。
確かに、毛嫌いする層がいた一方で、トルシエには信奉者も多くいた。
当時のわたしにはそれが理解できなかったが、いまならばわかる。
まだよちよち歩きを始めたばかりの日本サッカーにとっては、トルシエのあの強権スタイルが、ある種心地よかったのだ。
さらにいうなら、あのころは『ここがヘンだよ日本人』(98~02年)といった外国人に日本のおかしなところを指摘させる番組が大人気だったように、日本人は、いまよりもずっと外国人に“ダメ出し”を食らうのが好きだった。
だが、16年の月日は日本と日本のサッカーを少なからず変えた。