帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「死を生きる」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「死を生きる」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
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死ぬまでボケない(※写真はイメージ)
死ぬまでボケない(※写真はイメージ)

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。死ぬまでボケない「健脳」養生法を説く。今回のテーマは「死ぬまでボケない」。

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【ポイント】
(1)こころの老化を一番後回しにする
(2)生と死を統合させるのが自己実現の道
(3)理想の大道を行き尽くして最後に合点する

 このシリーズのサブタイトル「死ぬまでボケない」について考えたいと思います。認知症は老化現象であるとこれまで書いてきました。だとすれば、いくら抵抗しても最後はボケてしまうことになるのではないでしょうか。

 それに対する救いは、老化現象には「からだの老化」「こころの老化」「いのちの老化」と3種類の老化があるということです。このうちのこころの老化を一番後回しにすることで、死ぬまでボケないが実現するのです。

 フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンは生命の躍動によって生まれる歓喜(心のときめき)は単なる快楽ではなく、創造を伴い、自己を向上させるのだと論じています。つまり自己実現です。この自己実現の道を歩んでいる限り、こころの老化に抵抗できるというのが私の考えです。

 そして私にとっての自己実現とは、ひとつには「生と死の統合」があります。

 医師としてがん患者さんとお付き合いするためには、患者さんよりも一歩も二歩も死に近いところに自分自身を置かなければいけないと考えてやってきました。それは、今日が最期だと思って毎日を生きるということです。

 そのように、死を身近なものとしたとしても、それだけでは生と死の統合にまでは至りません。本当に生と死を統合できたら、生と死の違いがなくなるはずなのです。それは、この世とあの世の境目がなくなることかもしれません。生きながらにして、死後の世界の人とも交流できるかもしれません。

 こういう話をすると、「まさに認知症の人こそ、魂が半分、あの世に行っている状態になっていて、生と死の両方を行き来しているのではないでしょうか」と言う人がいます。だから、認知症の人は生と死を統合しているというのです。

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