■追悼
北野編集委員は、本書の完成を見ずして亡くなった人たちを悼む。そのひとりは、2017年8月、66歳で亡くなった衆議院議員の長島忠美。04年の新潟県中越地震発生当時、2千人余りの全村避難を決断した新潟県山古志村(当時)の村長だった。これまで表に出すことがなかった被災地を訪問した両陛下とのやりとりを、北野編集委員の取材に初めて答えた。
被災地で陸海空の自衛隊全体を束ねる統合任務部隊指揮官だった君塚栄治。自衛隊員も被災したり、遺体捜索の精神的負担に苦しんだと明かした。11年3月16日に陛下が自衛隊、警察、消防、海上保安庁の順に列挙し「その労を深くねぎらいたく思います」と語ったビデオメッセージに、「自衛隊が頼りにされている」と感激した、と振り返っている。君塚は15年12月、63歳で急逝した。
「両陛下が人とふれ合い、言葉を交わした足跡は、本人が生きているときに聞いておかなければ記録に残らない。そんな当たり前のことに気づかされた」。北野編集委員はそう締めくくった。
【未収録秘話/被災地と皇居を結ぶハマギク 両陛下との「5年後の約束」】
未収録の秘話がある。有名なハマギクのエピソードの後日談を多田晃子記者が取材していた。
岩手県大槌町の海辺に立つ「三陸花ホテルはまぎく」。両陛下とのきずなであり、ホテルのシンボルとなったハマギク。天皇陛下の退位が決まったことを受け、このホテルに両陛下の歌を刻んだ歌碑を建設しようと準備が進む。きっかけは皇后さまの一言だった。
同ホテルの前身「浪板観光ホテル」は東日本大震災で被災。社長だった山崎龍太郎さん(当時64)らが亡くなった。この年の10月、皇后さまの誕生日にあたって公開された両陛下の写真には、山崎さんが生前に種を贈ったハマギクの花が写っていた。「両陛下からの激励のメッセージでは」。ホテルはハマギクを復興の象徴に掲げ、「三陸花ホテルはまぎく」として再建を果たした。
2016年9月、両陛下が岩手県大槌町への訪問で、このホテルに宿泊した。1997年10月に続く2回目の訪問だった。海岸のハマギクは東日本大震災で半減し、砂浜は地盤沈下していた。そばで仕えた侍従は、その光景を見た両陛下の様子について、こう明かした。