■狭心症の悪化と手術
狭心症を抱えていた天皇陛下は翌12年2月18日に冠動脈バイパス手術を受けた。震災前の11年1月の「様子を見る」との判断が、震災を経た翌年には「手術を受けるべきだ」という判断へと変わった。記者は、被災地訪問の負担も一因ではと考えた。取材した羽毛田信吾宮内庁長官は、「心底思いやって、悲しみ、苦しみをともにする。心に重いものを負いながらの訪問であり、心のストレスは大きかったと思います」と明かした。さらに、たびたび天皇陛下に「お疲れではありませんか。すこしペースを落としては」と進言したが、いつも「いや大丈夫だ」という答えだった、とも打ち明けた。
3月4日に退院し、5月12?13日には仙台の仮設住宅を訪れた。5月16日にはエリザベス英女王の即位60年行事のための訪英を控えていた。過密日程を心配した奥山恵美子仙台市長は、延期を提案したが、宮内庁からは「被災地に行かずに海外に行くことはないと陛下はお考えです」と返事が返ってきた。
■ひざをつく
『祈りの旅』では両陛下が被災者の前でひざをついて語りかける姿について、象徴天皇制を研究する河西秀哉神戸女学院大学准教授らへの取材で検証する。
皇太子明仁さまが1959年10月、昭和天皇の名代として伊勢湾台風の被災地を訪れた際は、座る被災者に立ったまま話しかけた。一方、結婚後間もない62年に九州の児童施設を訪れた際、皇太子妃美智子さまは、児童施設で子どもが横たわるベッドの横でひざをつき、子どもに語りかけた。結婚後27年の86年。伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、ご夫妻でひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。91年の雲仙普賢岳での姿勢も同様だ。河西が推測する。
「皇太子は最初は人々との接し方に距離感があったが、美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのでは」
国民の側の意識も変化した。93年の北海道南西沖地震で津波などで被災した奥尻島を訪問した際は、避難所でひざをつく天皇陛下の姿が報道されると、奥尻町役場に批判の電話が殺到した。しかし町職員によると、2年後の95年の阪神・淡路大震災の際は、神戸市役所にそうした苦情はなかったという。