天皇、皇后両陛下は、なぜ被災地を巡るのか──。東日本大震災発生から7カ月後の2011年10月、皇后さまが誕生日に発表した文書をきっかけに、朝日新聞社会部の皇室担当記者の取材が始まった。そこからの両陛下の足跡をたどった『祈りの旅』(朝日新聞出版)が発売された。えりすぐりの秘話を紹介する。
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「ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」
「このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした」
朝日新聞社会部の北野隆一編集委員は、震災の年の秋、皇后さまが誕生日に公表した文書に胸が詰まった。被災者に笑顔で接していた皇后さまが、実は内面に葛藤や悩みを抱えていたと知った。そこからスタートした取材は、朝日新聞の連載「プロメテウスの罠 震災と皇室」「被災地の両陛下をたどって」「てんでんこ皇室と震災」という形となり、読者に伝えられた。本書では、宮内庁幹部や、陛下と対面した専門家や政治家、被災者、復興にあたった自衛官ら多数の関係者への取材を積み重ね、両陛下の足跡を丹念にたどっている。そこには両陛下の葛藤だけでなく、平成の皇室を築き上げた両陛下自身の変化も浮かび上がる。その一部を紹介しよう。
■3月11日午後2時46分
東京都千代田区は震度5強の揺れに襲われた。天皇陛下は皇后さまとともに皇居の宮殿で、その瞬間を迎えた。宮殿の表御座所の部屋に並ぶ各国元首の肖像写真立てが、激しい揺れで次々と倒れた。
皇后さまはお住まいの御所に戻ったが、天皇陛下は国事行為である、内閣からの書類に署名押印する「執務」のため宮殿に留まり、テレビの災害ニュースをじっと見続けた。
テレビ画面に、津波の高さの予想が「10メートル」と表示された。すると陛下は1993年の北海道南西沖地震で津波に見舞われた奥尻島に触れ、「沖合で操業していたイカ釣り船は無事に帰ってきたので、沖合まで出られれば大丈夫」と祈るように語った。